海と山と里

はじめに

 この章の題名は「海と山と里」です。
 日本は、四方を海に囲まれた島国であると同時に、国土の約73パーセントを山地が占める山国でもあります。海の潮流が多彩な文化交流をもたらし、山の存在が地域を分け、多様な地域文化を育んできました。
 このように多彩な地理的特質に恵まれているためか、日本には、地形や地理的条件と関連した地名が多数あります。
 興味深いことに、地名というのは時代を経ても(その地域を統治する人びとが代わっても)、大きく変化することは少ないようです。とりわけ北海道や沖縄の難読地名は、もとは北海道にアイヌ民族、沖縄に琉球王国があったことと関係しており、アイヌ語や琉球方言の話者がさまざまな歴史的・文化的理由から減少しているのに対し、地名はほぼ変わらないまま現在まで残り、その土地がどのような土地であったか、その土地にどういう人が住んでいたのかを、現在にまで伝えてくれています。
 また、地名は、近年では「災害地名」のように、地名が災害の指針として見直されています。たとえば、水に関する文字(川、池、浜など)がつく地名は、海岸線や川の近くなど水と関わりの深い場所であり、水害の発生しやすい場所であるとされています。なお、災害地名に関する記事は、内閣府の政府広報のWebサイトにも掲載されています(http://www.gov-online.go.jp/cam/bousai2015/city/name.html)。
 地名に関して、私がとくに面白いと思ったのは、男鹿半島の「男鹿」という地名。男鹿半島は秋田県にある半島で、国の重要無形民俗文化財「ナマハゲ」で有名な場所です。この「男鹿」という地名の由来を、谷川健一氏は、「なまはげのように海の向こうからやってくる神がマレビトの代表的なものです。男鹿半島の『男鹿』とは、『くが』、つまり陸に相当する言葉です。海上からやってくる者(船乗り、漂着民など)にとって陸地であるとのいうのが男鹿のもとの意味なのです。」(『谷川健一著作集9』「民俗学より見た常民と海浜のかかわり」三一書房、1988年)と述べておられます。
 〈まろうど〉とは「稀に来る人(マレヒト。客人)」の転で、特に遠方からいらっしゃって禍福をもたらす「まろうど神」のことをいいます。かつて、人びとが暮らす里には、遠方から訪れる神様(まろうど神)がいらっしゃって、その神様を手厚くもてなさないと罰が当たると考えられていました。男鹿半島のナマハゲも、そのようなまろうど神であると考えられており、扮装した青年が小正月に家々を訪れるという行事は、日本各地に見られます。
 余談ですが、月の満ち欠けを基準としていた旧暦(太陰暦)では、正月15日(小正月)の満月祭が年初行事の中心であったので、ナマハゲや左義長、粥占、鳥追いなどは古来の風習を守ったまま、現在でも15日に行われています。
 「ナマハゲ」のようなまろうど神は日本に古くからいらっしゃったと考えられていて、ナマハゲのように小正月に神様が訪れる行事は、沖縄県奄美群島や八重山群島にも見られます。
 まろうど神としてとりわけよく知られているのは恵比須神で、この神様は七福神・商売繁盛の神様として知られていますが、「えびす」ということばが「異邦人」という意味ですので(かつて大和朝廷に服属しなかった人びとを「蝦夷(えみし)」といい、都の人が東国の人を「東夷(あずまえびす)」と呼んだのがその例です)、かつて恵比須神は外来の神様「まろうど神」であったと考えられています。
 面白いのが、この恵比須神は、商業者だけでなく、漁民や農民の神様でもあるということです。異郷からやって来て豊漁をもたらす神様をえびすといい、春に山から下りてきて田の神となる神様もえびすといいます。海に囲まれ、山に抱かれた私たち日本人にとって、海の向こうや山の上は、物理的な距離としては近くにあるけれども、神様の住む遠い別世界として捉えられていたということができるでしょう。
 前置きが長くなりましたが、地名の由来や場所を表すことばの意味を絡めながら、海と山と里について見ていきたいと思います。

……続きます……

はじめに
ことのは
わのこと
そざい