以上、タカミムスヒとアマテラスについて、別個に、また比較しつつ論じてきた。
 タカミムスヒがアマテラスと共に皇祖神であったという根拠は、記紀及びそれ以外の資料の随所に見られる。それらを箇条書きにすると、以下のようになる。

① 国譲り神話や天孫降臨神話において、アマテラスとタカミムスヒが司令を下している。(記、紀第二の一書)
② ホノニニギの祖母がアマテラス、外祖父がタカミムスヒである。(記紀)
③ 神武天皇がタカミムスヒとアマテラスを「我が天神」と呼んでいる。(紀)
④ 神武東征の際、アマテラスとタカミムスヒが神武天皇の手助けをしている。(記)
⑤ アマテラスとタカミムスヒの孫を「皇孫」と呼ぶとある。(古語拾遺)
⑥ アマテラスとタカミムスヒを「天祖」「皇天二祖」としている。(古語拾遺)

 タカミムスヒをアマテラス以前の皇祖神とする主な根拠は、概ね、

① 天孫降臨神話(国譲り神話も含む)における所伝を比較した場合、タカミムスヒ司令による所伝が多く、且つアマテラス司令による所伝が新しい成立であること
② 天孫降臨神話と連続した話であろう神武東征においても、タカミムスヒとアマテラスが神武を手助けしていること(古事記)

の点にある。
 更に細かく言えば、I.タカミムスヒを「皇祖」としていること(紀第九段正文)、II.『延喜式祝詞』出雲国造神賀詞にタカミムスヒが「高天原能神王」とあること、III.『古語拾遺』においてタカミムスヒを「皇親カムロキノミコト」としていること、などが挙げられる。
 かつての皇祖神がタカミムスヒであったとする根拠に関しては、天孫降臨神話・神武東征条における諸伝の比較を通して確認してきた。アマテラス=皇祖神という見解に対しては、直木孝次郎氏の研究(※1)によって伊勢神宮批判がなされており、現在直木氏の説は定説となっている。
 このように、「アマテラス=皇祖神」への批判、皇祖神交替に関する根拠は多く挙げられているにも関わらず、タカミムスヒからアマテラスへ皇祖神の交替が行われたのが、どのような必要性・理由があってのことなのかという問題については、あまり深く掘り下げられていない部分がある。
 しかしタカミムスヒからアマテラスへ皇祖神交替が行われたということは、記紀神話の性質―国家の要請や編者の意図とも密接に関わり合う問題であり、皇祖神というものが一体どのような存在として位置付けられていたのかを知るうえで避けては通れない問題であるから、自分なりにこの問題に対して検討を試みたい。

タカミムスヒからアマテラスへの転換・従来の諸説

 タカミムスヒを本来の皇祖神とする説と関連して、既にいくつかの皇祖神転換に関する説がある。
 代表的な説の概要を以下に掲げる。

〈松前健氏説(※2)
 伊勢の神話と宮廷神話が混合され、伊勢神話のアマテラスが皇祖神に仕立て上げられた。

〈岡正雄氏説(※3)
 タカミムスヒ神話を伝承する進入民族がアマテラス神話を固有とする先住の米作農耕民を征服した結果、天皇族の文化と先住族の文化との混淆が進行した。更に、先住族の文化は通婚によって取り入れられ、先住異族の母権母系母処婚制によって子女が母のもとで養育されたことにより、母方種族の文化が皇室に取り入れられ、アマテラス神話がタカミムスヒ神話を圧倒した。

〈上田正昭氏説(※4)
 タカミムスヒに仕える巫女であったオホヒルメノムチがタカミムスヒと合一化し、アマテラスが皇室の至貴の祖神と信じられるにいたって、アマテラスのほうが前面にうかびあがった。

〈岡田精司氏説(※5)
 推古女帝の頃、巫女神=日女神(ひるめのかみ)は、日神と並ぶ存在にまで高められた。天武朝に伊勢神宮の祭祀に大改変が加えられ、ヒルメの神と古い日神(=タカミムスヒ)の併祭をやめて、ヒルメの神のみを、単独に太陽神として祀ることが決定された。

〈西條勉氏説(※6)
 皇祖(ミオヤ)という語は母系重視であり、血統的始祖としての皇祖神をアマテラスに求めた。

〈溝口睦子氏説(※7)
 伴造系の信奉する神であり、一般の人びとに馴染みがない(神話・伝説が少ない)タカミムスヒよりは、古くから人びとに親しまれてきた土着の太陽神アマテラスのほうが新しい体制の国家にふさわしいとされた。
 また、国家の基礎を固めてその安定を図る際、固有の伝統文化を新たに組織し直し確立する必要性があったため、古い外来神であるタカミムスヒより、土着の神アマテラスを皇祖神とする動きがあった。

 皇祖神交替の問題に関して最も一般的な説は、上田氏説・岡田氏説に代表される「巫女昇格説」であろう。このことに関しては、次節で詳しく論ずることにするが、ヒルメという神名と関わる問題である。
 西條勉氏を除く他の三氏の説は、二種類の神話の混合という問題と絡んでいる。溝口氏の説は更に、神話の新旧にも言及されており、皇祖神交替問題を神話の新旧とも関連づけておられる。神話の混合問題といっても、松前氏は地方神話と宮廷神話の問題を、岡氏説は北方系神話・南方系神話の問題を、溝口氏はイザナキ・イザナミ系神話とムスヒ系神話(信奉している氏族や普遍性、その神話の新旧などに関連した二種の神話系統)の問題をそれぞれ提起されており、皇祖神転換という問題が、歴史・民俗の問題と複雑に絡まり合った問題であることが示されている。
 かつての皇祖神であったタカミムスヒは、「2.タカミムスヒ」で見たように創造神、生成神であり、多くの氏族の始祖とされていた神であった。それでは皇祖神化する以前のアマテラス―ヒルメは、どのような神であったのか。ヒルメという神が何か皇祖神という最高の地位を得るに相応しいもの――皇祖神として求められるものを持っていたのではないだろうかと私は考える。そこでヒルメという神について、またアマテラスという神の特徴について、詳細な検討を試みたい。

アマテラスとヒルメの神名

 序論で述べたように、「ヒルメ」が絶対化・至上化されて皇祖神となったのが「アマテラスオホミカミ」という神である。しかし、皇祖神アマテラスとして装い新たに登場する以前の太陽神「ヒルメ」について、詳しく論じる必要があるように考える。というのは、タカミムスヒよりもヒルメの方が皇祖神として相応しいと考えられたからこそ、ヒルメはアマテラスという神名となり皇祖神となったのであると考えたためである。
 天照大神という神について、松村武雄氏は、アマテラスの神名には「ひるめ」系統と「天照」系統があるとされた(※8)。その説に従えば、『万葉集』に見られる「天照らす日女の命」(一六七)などは両者の混合ということになる。
 記ではアマテラスの神名表記は「天照大御神」で統一されている。紀には複数の神名が見られ、日神(紀第五段正文)、大日孁貴(同上)、天照大神(同上、及び紀第五段第六の一書)、天照大日孁尊(紀第五段正文)、大日孁尊(紀第五段第一の一書)などがある。紀冒頭にある「至貴曰レ尊。自餘曰レ命。」という方針によれば、大日孁貴はその方針が採用されていない時代に成立した古い神名であり、次いで大日孁尊、天照大日孁尊という神名が成立したものと考えられる。「神」でも「尊」あるいは「命」でもなく「ムチ」を用いていることについては、『釈日本紀』第十六巻に「蓋古者、謂二尊貴者一、為二武智一歟。自余諸神、或謂二之尊一、或謂二之命一。今天照大神、是諸神之最貴也、故云二武智一。」とあり、また、同じくムチという語を神名に持つ神にオオアナムチがいることから、主神としての性格を得た際に、(オホ)ヒルメからオホヒルメノムチという神名になったものと考えられる。
 そして、「日神」などは、漠然と太陽神を指す神名ととらえられるから、固有名がなかった時代の神名である可能性が大きい。繰り返すことになるが、天照大(御)神という尊貴性が高められた神名が、最も新しい成立である。
 アマテラスという神名については、筑紫申真氏(※9)が、アマテラスはアマテル(日神)→オホヒルメノムチ→アマテラスヒルメの命→アマテラスオホミカミという成長の順序で成立したのだと述べておられる。
 アマテルの名を持つ神社としては、①木島坐天照御魂神社、②水主坐天照御魂神社、③他田坐天照御魂神社、④鏡作坐天照御魂神社、⑤新屋天照御魂神社、⑥粒坐天照神社、⑦天照大神高座神社、⑧伊勢天照御祖神社、⑨阿麻氐留神社、⑩天照玉命神社、が挙げられる。このうちアマテラスを祭祀している神社は⑦(アマテラスとタカミムスヒの二神を祭祀)と⑧であるが、「天照大神高座神社」「伊勢大神御祖神神社」という名称からして、天照の名を冠する中でも、特定の神を祀る神社であることが明らかなことが分かる。因みに、⑨の神社の祭神は、顕宗紀に登場するタカミムスヒを祖とする日神である。
 右の神社のうち、①・③・④・⑤・⑥・⑨の神社は火明命が祭神であり、②の神社も火明命と関係があるという。火明命は、尾張連の始祖であるとされている神である。記紀神話によればホノニニギの息子であり、ホホデミの兄とされる神であるが、ホノニニギの兄弟としている伝もある。筑紫申真氏は、アマテルとは七世紀末から八・九世紀にかけて天の火明の命と呼ばれる男性神であり、天照らす大神はアマテルが成長発展した最終段階で創出された特殊な宮廷神であったと述べておられる(※10)
 確かに天照大神は、アマテルに尊敬の助動詞スをつけたアマテラスという美称を冠する神である。しかし、「アマテラス」という語は美称であって、その神名の中核は「オホミカミ」なり「ヒルメノミコト」にある。天照御魂は天にあって照り輝く魂、すなわち太陽の連想であり、ヒルメが太陽神であるからこそ他のアマテル神同様、アマテラスという美称を冠し「アマテラスヒルメノミコト」とされたと考えられはしないだろうか。太陽神であればどの神もアマテル神と呼ばれる可能性を有しているのであって、火明命=アマテル神が発展して皇祖神アマテラスとなったとするのは、どうであろうか(例えばツクヨミヲトコという語が『万葉集』に見られるが、これは必ずしも記紀に登場する月読尊を指しているわけではなく、擬人化した月、あるいは漠然と月の神を指しているに過ぎない)。記紀に登場する神々は、地方神話に見られる自然神が原型となったと考えられる神が多く登場する。アマテル神が皇祖神アマテラスの原形の一つということは出来ても、その原形は必ずしも火照命のみには限定されないのではないだろうか。恐らくは、ヒルメがオホヒルメノムチとなり、更に、広大な世界を照射する日神・アマテラスオホヒルメノムチとなるに至った後に、「光華明彩しくして、六合の内に照り徹る」(紀第五段正文)神としてより相応しい修飾語アマテラスの方を、新たな神名として採用したものと考えられる。 アマテルという語は太陽・月にかかる語であり、アマテラスオホヒルメノムチといった場合には、その言葉は太陽の女性神格化「ヒルメ」、あるいは太陽そのもの=「ヒ」にかかる。紀におけるアマテラスの神名が「オホヒルメノムチ」である(「共に日の神を生みまつります。大日孁貴と号す。」)ことからも、その神名の核はヒルメであるといえよう。
 この神も、原型は地方神話の一太陽神に過ぎなかった可能性はあるが、ヒルメが男性太陽神ではなく、女性太陽神であったことは、神名表記に「孁」という字が用いられていること、『万葉集』に「日女命」と記載されていることから明らかである。これらの表記は、はヒルメが女性であるという認識のもとに採用されたものと考えられる。
 ヒルメという神名は、『万葉集』だけでなく、ヒルメまたはヒルメノカミ(『神楽歌』)、アマテラスオホヒルメノミコト(『皇太神宮儀式帳』)、トヨヒルメ(『年中行事秘抄』)、ワカヒルメ(紀)などにも見られ、アマテラスオホヒルメノミコトやトヨヒルメはアマテラス自身、ワカヒルメはアマテラスの分身と考えられる。この「ヒルメ」に関しては、「日の女」ととるか、あるいは「日の妻」ととるか、議論がある。特にヒルメを「日の妻」と捉える場合、皇祖神交替の問題と密接に絡んでくる。というのは、「日の妻」ととるならそれは太陽神に仕える女性、即ち巫女であり、太陽神(この場合はタカミムスヒ)を祀る巫女ヒルメが、太陽神として祀られる側になることによって皇祖神に昇格したというのが、上田正昭氏や岡田精司氏に代表される「巫女昇格説」であるからだ。
 ヒルメという神名を「日の妻」と解するこの説は、折口信夫が提案した説である。ただ、ヒルメが仕えた男性太陽神として、ヒルコとする説と、タカミムスヒとする説がある。
 ヒルコを男性太陽神とする説は、記紀に登場するヒルコ(記では「水蛭子」、紀では「蛭児」)を「日る子」即ち男性の太陽神とするものである。これは「日る子」となることから、正確には「太陽神の御子」であり、太陽神の御子神であるヒルコを太陽神の分身とするという見解もある(※11)
 ヒルコを男性太陽神そのものと見るか、あるいはその御子(分身)と見るかという違いはあるものの、どちらにしてもヒルメはこれらの見解において「日の妻」と捉えられている。確かに、大隅正八幡宮縁起に見られるオホヒルメ(大比留女)は、朝日が胸に当たったたことにより懐妊し、御子を生むなど、「日の妻」と解せられる性格を有しているが、アマテラス(ヒルメ)が男性太陽神に仕えていた巫女とするのはどうであろうか。メには確かに、「妻」の意味がある。しかし、単に男性に対する「女性」の意味もあり、『万葉集』に見られる「日女」は、字義的には「太陽の女性」である。
 ヒルコを男性太陽神とし、ヒルメをその妻とする説があるが、ヲトメ―ヲトコ、ヒコ―ヒメ、ムスメ―ムスコの関係と、ヒルメ―ヒルコの関係が同じであるならば、それは男女の対ということはできるが、それは必ずしも〈夫婦〉であるとは言い切れないのではないだろうか。ほぼ同じ神名構造をもつウヒジニ・スヒジニなどは対偶関係にあるが、それぞれ泥土の男性神格と女性神格といういわば同等の対偶関係であって、泥土の男性神とその妻、という、いわば「主」と「それに付随するもの」との関係とは異なるだろう。ヒルコとヒルメを夫婦の関係とするならば、ヒルメの神名は正確にはヒルコノメになるのではないだろうか。また、溝口氏が論じておられるように、ヒルメのメを「妻」ととらえるなら、ヒルメは正確には「太陽の妻」であり、「太陽神の妻」ではない(※12)
 また、タカミムスヒを男性太陽神とする説もあるが、タカミムスヒは「最高の生成神」であって、タカミムスヒが太陽神と関連づけられている(顕宗紀に日神の祖先とあり、記における神名表記が高御産巣日である)のは最高の生成神=太陽であるという二次的なものである。タカミムスヒは、太陽神の性質も包含してはいるが、正確には創造神として位置付けられる。
 また、「2.タカミムスヒ」で少し触れておいたが、天地初発条には複数の神話が混合している形跡がある。記紀には宮廷神話のみならず、出雲地方のほか、地方神話なども取り込まれた形跡が見られるから、タカミムスヒとアマテラスもそれぞれ別々の神話の主神であった可能性がある(天孫降臨神話・神武東征条を除き、この二神の間に何の関わりも見出すことができない)。このページの最初で紹介したように、溝口睦子氏は「ムスヒ系とイザナキ・イザナミ系」という二元構造を、岡正雄氏は「北方系神話と南方系神話」の混合を、松前健氏は「伊勢神話と宮廷神話」の混合の可能性を、それぞれ提示しておられる。記紀が二系統の神話が混合された神話だとするならば、タカミムスヒとアマテラスはそれぞれ別々の神話の主神であり、本来は何の関わりもなかった神同士ということになる。タカミムスヒが、アマテラス固有の神話である「天の石屋戸」に全く登場せず、また本来的な形での天孫降臨神話(タカミムスヒの神話)とアマテラスが何の関わりもないことからすると、タカミムスヒとアマテラスはそれぞれ別々の神話に属していた主神同士、と考えた方が良いのではないだろうか。
 以上、ヒルメという神名を「日の妻」とする見解について検討してきたが、ヒルメという神名は、単純に「太陽の女性神格化」と見なした方が自然であると私は考える。
 「~(の)メ」という神名構造で、自然を擬人化した例を上代文学作品から拾ってみると、ウカノメ(神武紀)、ミズハノメ(神代紀第五段)が挙げられる。この場合、どちらも「~の女」つまり自然の女性神格化であって、「~の妻」の意ではない。ウカノメやミズハノメのように、自然そのものを擬人化し、それを妻ではなく女性と考えた例が見られるのだから、女性であるアマテラスが本来的に太陽神であったとしても、不思議はないのではないだろうか。アマテラスが巫女的性格を備えているのは、古代国家においては祭政が一致していたことと関係しているのであろう。
 「アマテラス巫女昇格説」(ヒルメ=「日の妻」説)に関しては、溝口氏が反対の立場から詳細な考察をされておられるが(※13)、ヒルメの新たな神名である「天照大神」は、抽象的であると同時に中性的な印象を与える神名であるし、昇天してきたスサノヲを待ち構えるアマテラスの服装などは、男性的ですらある。アマテラスは確かに女神ではあるが、その姿からは男装した女神という印象を受ける。
 それはもしかしたら、男性優位の考えが反映していった結果、アマテラスの中性化が進んだ結果であるのかも知れない。

皇祖神・アマテラスの特徴

 太陽の女性神格化ヒルメを原型とするアマテラスが天の石屋戸に隠れると、世界が闇に包まれ、数々の災いが起きた。天の石屋戸神話に描かれているアマテラスは、太陽そのものと言って良い。
 アマテラスは、自然神・農業神的な部分(農業に関わる太陽神)が全く見られない神であるが、天の石屋戸神話には農業神的な部分が見られる。これは皇祖神化する以前の、アマテラスの原型の姿だと考えられるだろう。
 スサノヲの勝さびから連続した天の石屋戸神話におけるアマテラスの特徴を箇条書きにすると、次のようになる。

① 田の耕作や大嘗(新嘗)、機織りなどの生活を営む
② スサノヲの行為に対し、天の石屋戸に隠る。その後、世界が暗黒に包まれる
③ 神々の策略によって天の石屋戸から出される
④ スサノヲ追放には関与しない(スサノヲ追放は、神々の詮議によって決定される)

 ②以降から分かることは、ウケヒ条やスサノヲの勝さび、天の石屋戸条に見られるアマテラスの姿は、争いを好まない神として描かれているということである。スサノヲの昇天に際しては武装するが、ウケヒという平和的解決を選択し、スサノヲの乱暴な行為に対しても寛容な心で許し続け、自身(あるいは分身であるワカヒルメ)が傷つき、憤激しても、武力を用いて報復することなく、天の石屋戸に隠るという平和的な手段を選んでいる。国譲りや神武東征に見られるような積極的・戦闘的な手段を、アマテラスは決して選ばない。しかし、天の石屋戸に隠ったことで世界が暗黒に包まれるなど、アマテラスの影響は、高天原・葦原中国双方にも及んでいることから、武力などではなく資質で神話における至上神となっていることが分かる。
 天孫降臨神話に関する記載のある伝のうち、紀第九段第二の一書を見ると、アマテラスの非戦性という特徴が明確である。紀第二の一書では、国譲りは〈天つ神〉が司令を出し、〈国つ神〉との交渉は専らタカミムスヒが担当しているのである。
 アマテラスは、アメノオシホミミ(途中ホノニニギに交替)が降臨する段階になって姿を現す。

 是の時に、天照大神、手に宝鏡を持ちたまひて、天忍穂耳尊に授けて、祝きて曰はく、「吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。与に床を同くし殿を共にして、斎鏡とすべし」とのたまふ。(中略)又勅して曰はく、「吾が高天原に所御す斎庭の穂を以て、亦吾が児に御せまつるべし」とのたまふ。

 「1.アマテラスとタカミムスヒの対比」に書いたように、紀第九段第二の一書は、アマテラスが登場する伝の中では最も古い伝であると考えられる。アマテラスが、徐々にタカミムスヒより優位に立つにつれ、アマテラスが国譲りをも司令してゆくことになるのだが、それ以前のアマテラスはアメノオシホミミに鏡と稲穂を授けているに過ぎず、国譲りや〈国つ神〉との交渉といった事柄には関与していない。武力によって国を支配し、服従させたホノニニギや神武天皇とは、大きな違いがある。
 アマテラスの特徴として、女神であることが挙げられる。記紀が編纂された時代には、「女人先に言へるは良からず」(記)のような考え方があったにも関わらず、アマテラスは至上神として高天原を統治している。
 そこには、女神アマテラスを要請する動きがあったのではないかと推察するのである。

※1……直木孝次郎「天照大神と伊勢神宮の起源」(同氏著『日本古代の氏族と天皇』塙書房、一九四八年)
※2……松前健『日本の神々』(中央公論社、一九七四年)
※3……岡正雄「皇室の神話―その二元性と種族的文化的系譜について―」(伊藤清司・大林太良『日本神話研究2 国生み神話・高天原神話』学生社、一九七六年)
※4……上田正昭『日本神話』(岩波新書、一九七〇年)
※5……岡田精司『古代王権の祭祀と神話』(塙書房、一九七〇年)
※6……西條勉「〈皇祖神=天照大神〉の誕生と伊勢神宮―古事記の石屋戸・降臨神話の編成―」(『国士舘大学国文学論輯』一五号、一九九四年)
※7……溝口睦子『王権神話の二元構造―タカミムスヒとアマテラス―』第二章第一節(吉川弘文館、二〇〇〇年) 
※8……松村武雄『日本神話の研究』第二巻(培風館、一九五五年)
※9……筑紫申真『アマテラスの誕生』(講談社、二〇〇二年)
※10……注(9)。また、千田稔『伊勢神宮―東アジアのアマテラス』(中央公論社、二〇〇五年)
※11……松前健『古代神話の新研究』(桜楓社、一九八四年) 
※12……注(12)二一八頁以降。
※13……注(12)。