タカミムスヒの神名

 タカミムスヒの神名構造については、タカ+ミ+ムス+ヒであるとする本居宣長の説(※1)が一般的に受け入れられている。ムスヒに関しては、ムス+ヒ説の他に折口信夫のムスブ説(※2)があるが、現在ではムスヒとムスブ(結ぶ・掬ぶ)とは関係ないとする説が一般的である。
 タカ+ミについては美称を二つ重ねたものであり、タカミムスヒの尊貴性を表している。タカ+ミの美称を重ねた例は他に「高御座」のみであることは、溝口睦子が指摘している(※3)。「タカミ」は、紀では「高皇」と表記され、皇室と関わりのある神であることが示されている(紀では「皇祖高皇産霊尊」と明確に記されている)。記では「高御」とあり、それが「ムスヒ」にかかるのは、ムスヒ神が数多いる中でも最高のムスヒがこのタカミムスヒであることを表しているといえよう。
 そして、神名の中核となる「ムスヒ」については、先述した通り宣長のムス+ヒ説が支持されているが、ムスが自動詞なのか他動詞なのか(※4)、更にムスを苔生すなどのムスか、あるいはウムスであるのかなど多くの議論が展開されている(※5)。ヒについても、「霊力・神霊」の「霊」ととるか、あるいは記の表記「高御産巣日神」の字義通り「太陽」の「日」ととるのか、論議が交わされている。
 ムスについては、先述したように多くの説があるが、顕宗紀三年二月丁巳条に、「高皇産霊、預ひて天地を鎔ひ造せる効有します。」という記述があるから、「自ら生成するヒ」であるよりは「万物を生成するヒ」、即ちムスを生える・生じるなどの他動詞「ムス」と見た方が良いように考える。ムスヒ二神が天地初発条の冒頭に登場する神であることは、この二神が全てを生み出す創造神的性格を持っていたためではないだろうか。
 記において、タカミムスヒの神名表記が「高御産巣日」とされていることから、タカミムスヒを日神と捉える見解があるが、アマテラスに見られるような明確な日神的性格は、記・紀に描かれているタカミムスヒの姿からはほとんど認めることができない。だが、顕宗天皇条に日神・月神の祖先とあり(※5)、『逸文 山城国風土記』に「天照高弥牟須比の命」の名が見えることから、タカミムスヒが太陽神と結びつけられた可能性はあるだろう。タカミムスヒは、出雲国造神賀詞において「高天の原の神王」タカミムスヒと表現されており、霊力(ヒ)は太陽(日)と関連するという考え(※6)もあることから、ムスヒ(産霊)神、特に数多いるムスヒ神の中でも高次なタカミムスヒが「生成する太陽」と捉えられたとしてもおかしくはない。太陽とは、万物を生育する最高の生成霊であり、最高のムスヒ神が太陽神と同一視されても不思議はない(神武記において、タカミムスヒがヤタガラスを派遣しているが、中国古代説話で太陽の中にいる三本足の赤色の烏を日本で八咫烏と呼ぶことを考えれば、そのヤタガラスを派遣したタカミムスヒが太陽神と見なされていたという考えが記において見られるということができるだろう)。『延喜式』にある山城国葛野郡木嶋坐天照魂神社、大和国城上郡他田坐天照御魂神社、城下郡鏡作坐天照御魂神社など「天照御魂(アマテルミムスビ)」も、太陽が天に照り輝くムスビとして捉えられていたということを表しているのであろう(※7)。しかし、タカミムスヒは「日神・月神の祖」であるから、太陽神という性質はタカミムスヒの一部分であると考えた方が良いように考える。タカミムスヒの性質は「生成神」であって、必ずしも太陽に限定されない。日神・月神の祖とされている(顕宗紀)いうことは、太陽神だけでなく月神の性質をも持っている可能性があり、それは更に言えば天上の支配者に近い存在といえる。
 ムスヒは紀の「産霊」という字義をそのままとっておくのが良いように考える。ただし、「神」「尊」の字から分かる通り、霊力そのものではなく、生成の霊力の神格化である。
 神名は高大な力を持つ生成神を表しているが、それでは一体タカミムスヒはどのような生成神なのか。次節で考察を試みる。

生成神としてのタカミムスヒ

 タカミムスヒという神名の核は「ムスヒ」であるから、タカミムスヒという神名は美称のタカ+ミの付加されたムスヒということになることは既に述べた。
 タカとは高大さを表す。タカミムスヒの高大な生成力を表しているのであろう。ミも美称だが、こちらは尊敬・丁寧のほかに、天皇や宮廷に関わるものという意味も持つ。「御食」「御垣」などがその例である。記において皇祖神とされているのはアマテラスのみであるが、タカミムスヒも決してその尊貴性を失ったわけではないということがいえるのではないだろうか。
 タカミムスヒの神名表記には、史料によっていくつか種類がある(下記参照)。

【古事記】高御産巣日神、高御産巣日(別名、「高木神」「高木大神」)
【日本書紀】高皇産霊、高皇産霊尊
【旧事本紀】高皇産霊尊、高魂尊、高木命
【続日本後紀】高御魂神
【日本三代実録】高御産日神、高御魂命
【古語拾遺】高皇産霊神、高皇産霊尊、高皇産霊
【延喜式】高魂命
【新撰姓氏録】高皇産霊命、高魂命、高御魂命、高御牟須比乃命、高媚牟須比命、高彌牟須比命、天高御魂乃命

 先述したように、記・紀におけるタカミムスヒの神名は「高御産巣日神」(記)「高皇産霊尊」(紀)と表記されており、紀の表記「高皇産霊尊」では字そのものに皇室との深い関わりが示されている。紀ではタカミムスヒが皇祖と捉えられる表現が多く、編者の記述態度の反映であるとも考えられる。『延喜式』『新撰姓氏録』などには、ムスヒは「魂」の字が用いられるようになっている。先に触れたアマテルミムスビ(天照御魂)も同様であるが、あるいはこれはムスヒ(生成神)を太陽と考え、太陽を天上に輝く「魂」ととらえた過程で生じた考えかも知れない。
 紀ではムスヒは「産霊」と統一的に表記されている。ムスヒの神は、タカミムスヒ・カミムスヒの他にも記・紀に何神か登場する。産霊とは字の通り、生成の霊力を表している。記・紀に共通してワクムスヒという神が登場し、紀第五段第三の一書に、火神ホムスヒが登場している。ワクムスヒは、記ではイザナミの尿から生じた神であり、食物を掌る神であるトヨウケビメの親とある。紀第五段第二の一書では、火神カグツチと土神ハニヤマビメから誕生した神とされ、「此の神の頭の上に、蚕と桑と生れり。臍の中に五穀生れり」という記述が見られる。この話は、蚕・桑・五穀といった農業の起源を語っているものとされている。紀第五段第三の一書には、火神ホムスヒが登場しており、この神を生んでイザナミは神退る(=死ぬ)のだが、そのときに水神・土神が生まれ、食料の代表である蔓草(天吉葛)が成ったという。これらのことから、記・紀に登場するムスヒの神はいずれも食物となる植物、特に五穀の生成と関わりが深い神であるといえるだろう。『古語拾遺』神武天皇条や『延喜式祝詞』祈年祭には、イクムスヒ・タルムスヒ・タマツメムスヒというムスヒの神がタカミムスヒ・カミムスヒと共に登場している。タカミムスヒ・カミムスヒ以外のこのムスヒの神々は、記・紀には登場していないが、祈年祭とは穀物の豊饒を祈る祭事であり、祈年祭の祝詞にムスヒ神が登場していることは即ち、ムスヒ神が穀物や、穀物の生成と深く関わっている、更に言えば穀物の生成を助けるのがムスヒ神であることを示している。記において、オオゲツヒメから生じた五穀を「種と成」したのはカミムスヒとされているが、このこともムスヒと穀物の生成との関わりを示しているものと考えられる。
 しかし、タカミムスヒが単に穀物神・生成の霊力といった側面しか持たない神であったということは出来ない。天孫ホノニニギやホホデミの神名に見られる「穂」からも分かるように、稲は王権と深く結びついた植物であり、穀物の生成と関係のあるタカミムスヒらムスヒ神が重んじられていたことは容易に考えられるが、タカミムスヒが特に偉大な神とされていることには、他にも理由があると考えられる。
 タカミムスヒは生成神「ムスヒ」として最大の霊能を持った神であり、神々の始祖的存在である。天地初発条はアメノミナカヌシ・タカミムスヒ・カミムスヒの登場によって始まる。それはタカミムスヒ・カミムスヒという最高のムスヒ神が、穀物だけでなく宇宙や神々をも生み出していったことを意味しているのではなかろうか。紀第八段第六の一書におけるタカミムスヒの「吾が産みし児、凡て一千五百座有り。」という発言も、万物の生成者であるタカミムスヒが、多くの(あるいは、全ての)神々を生み出した生成神―神々の王と認識されていたことを暗に示しているのではないかと考えられる。

タカミムスヒ・カミムスヒと〈別天つ神〉

 タカミムスヒと一緒に天地初発条冒頭に登場する神に、カミムスヒがいる。この二神の神名の核はともに「ムスヒ」であり、同じ生成神としての性格を持っている。タカミムスヒについて考えるにあたって、同じく最高の生成神であるカミムスヒについても検討してみたい。
 カミムスヒもタカミムスヒ同様、神名の核はムスヒであり、紀では「神皇産霊尊」、記では「神産巣日神」と表記されている。「高御産巣日」に対して「神御産巣日」が本来の神名であったと考えられ、その神名の構造はタカミムスヒと対をなしている。
 先に、タカミムスヒとカミムスヒとはほぼ同じ性質(生成神)を持つ神と述べたが、『古事記』においてこの二神の性質は、かなり分化している。どちらも高大な力をもつムスヒ神であり、生成神であることに疑問をはさむ余地はないが、破壊・戦闘に関わるのがタカミムスヒ、生成・建設などに関わるのがカミムスヒであるといわれている(※8)。確かに、タカミムスヒは国譲りの際の平定神の派遣命令や、アメノワカヒコに対する誅罰、神武東征の際の手助けなどを行っており、軍事面に大きく関与した神である。一方カミムスヒは、オオゲツヒメから生じた五穀を種と成したとあり、また死んだオオアナムチを治療・蘇生させるためキサガイヒメ・ウムギヒメを遣わしたとあるから、生成面に関与した神であるといえよう。カミムスヒは女性的と捉えられているが、ここでもそのようなタカミムスヒとカミムスヒの性質の違いが生じたものと考えられる。
 また一般的に、タカミムスヒは高天原系神話、カミムスヒは出雲系神話でそれぞれ活躍する神といわれている。タカミムスヒの後裔とされる氏族が畿内及び西国(九州)に多く、カミムスヒの後裔とされる氏族が畿内以西の中国地方(出雲と関係している)ことがその根拠であることは、先学の研究によって指摘されている(※9)。ムスヒ神は数多く存在しており、そのうち最も偉大な二神であるタカミムスヒとカミムスヒが、それぞれ別の巨大な勢力(大和朝廷と出雲)において活躍していたのは興味深い。これは、対偶と見なしうる最高のムスヒ二神が、それぞれ対立する高天原(天上)と出雲(地上)という領域に対し働きかけることのできる、世界の根本原理的な存在であった存在だということを示していよう。宣長は『古事記伝』三巻(※10)で、「此ノ天地を始めて、萬ヅの物も事業も悉に皆、此ノ二柱の産巣日大御神(=タカミムスヒとカミムスヒ)の産霊に資て成リ出る」と述べており、タカミムスヒ・カミムスヒが始原神、万物の生成者として捉えられていた可能性を示唆している。
 記・紀神話にはイザナキ―イザナミ、アマテラス―スサノヲ、ホノニニギ―オオアナムチのように、二元性的構造があることが指摘されている。相反する勢力は世代を経て、国譲りによって統一される。その二元性がタカミムスヒ(高天原)―カミムスヒ(出雲)の対比であり、記・紀の二元的世界の根本となっているということはできるだろう。生成霊という同じ霊力が二柱の神に分けられていることについて、薗田稔は、天地の未分からの分化の接点にはアメ(天)とツチ(地)という二つの世界への配分意識があったためとし、ムスヒ二神はそれぞれこの二つの世界の背景神として登場しているとする(※11)
 タカミムスヒに関しては、その重要性に比べて神話が少ないことが指摘されている神であるが、単独での活躍が見られないだけで、〈別天つ神〉としての活動は見られる。別天つ神は〈天つ神〉とも呼ばれることもあり、記の天地初発条で登場する造化三神(アメノミナカヌシ・タカミムスヒ・カミムスヒ)にアメノトコタチ・ウマシアシカビヒコジを加えた五柱の神々を指す。
 この天つ神もしくは別天つ神は、「身を隠した」とある神々であるにも関わらず、イザナキ・イザナミ二神に国土の修理固成や結婚の方法を教えるなど、神話の重大事において幾度も登場し、中心となって働く神を主導している神々である。水林彪は別天つ神のいる高天原を〈裏〉、アマテラスの活躍する高天原を〈表〉とし、古事記神話は常に別天つ神が指導しているとして、別天つ神の代表としてタカミムスヒ(高天原)とカミムスヒ(出雲)を提示している(※12)。この〈別天つ神〉という分類は記独自のもので、紀には全く見られない。
 それでは、〈別天つ神〉とは一体どのような意図をもって区別された神々であるのか。詳しくは後述(「主なタカミムスヒの神話」)するが、私は、タカミムスヒ・カミムスヒという最高のムスヒ二神を尊い神として打ち出すために、記編者が〈別天つ神〉という分類を考案したものと考えている。そして更に言えば、記独自の〈造化三神〉〈別天つ神〉という分類は、アマテラス系神話の不備を補うためのものであると考えるのである。
 記伝三巻(※13)で既に「此天地を始めて、萬の物も事業も悉に皆、此二柱の産巣日大御神に資て成出るものなり」と認識されているように、ムスヒ二神は万物を生み出す生成神である。記においてこのムスヒ二神が冒頭部に登場しているのは、記がムスヒを全ての根源と認識する方針に基づいて編纂されたためであろう(※14)
 この問題に関しては後述(「主なタカミムスヒの神話」)するが、別天つ神、わけてもタカミムスヒ・カミムスヒは幾度も記に登場し、神話の中心となる神に関与してくる。
 記・紀におけるイザナキ・イザナミの行動を比較すると、〈別天つ神〉の描かれ方に明確な差が見られる。

[記]
 是に天つ神諸の命以ちて、伊邪那岐命、伊邪那美命、二柱の神に、「是の多陀用弊流國を修め理り固め成せ。」と詔りて、天の沼矛を賜ひて、言依さし賜ひき。(中略)是に二柱の神、議りて云ひけらく、「今吾が生める子良からず。猶天つ神の御所に白すべし」といひて、即ち共に参上りて、天つ神の命を請ひき。

[紀正文]
 伊奘諾尊・伊奘冉尊、天浮橋の上に立たして、共に計ひて曰はく、「底下に豈国無けむや」とのたまひて、廼ち天之瓊矛を以て、指し下して探る。

[紀第一の一書]
 天神、伊奘諾尊・伊奘冉尊に謂りて曰はく、「豊葦原の千五百秋の瑞穂の地有り。汝往きて脩すべし」とのたまひて、廼ち天瓊戈を賜ふ。是に、二の神、天上浮橋に立たして、戈を投して地を求む。
 故、還復りて天に上り詣でて、具に其の状を奏したまふ。時に天神、太占を以て卜合ふ。

[紀第二の一書]
 伊奘諾尊・伊奘冉尊、二の神、天霧の中に立たして曰はく、「吾、国を得む」とのたまひて、乃ち天瓊矛を以て、指し垂りて探りしかば、磤馭慮嶋を得たまひき。

[紀第三の一書]
 伊奘諾・伊奘冉、二の神、高天原に坐しまして曰はく、「当に国有らむや」とのたまひて、乃ち天瓊矛を以て、磤馭慮嶋を画り成す。

 上は記・紀におけるイザナキ・イザナミの国土修理固成と二神結婚の部分であるが、紀が第一の一書を除いていずれの伝もイザナキ・イザナミが自主的に行動をしているのに対し、記ではイザナキ・イザナミは常に〈別天つ神〉の命令・意向に従っている形をとっている。
 既に見てきたように、高天原神話に属する天孫降臨神話、神武東征条は〈別天つ神〉であるタカミムスヒが先導し、出雲神話に属するオオアナムチの国造りは〈別天つ神〉カミムスヒの子・スクナビコナが手助けをしている(※15)。高天原神話は〈別天つ神〉タカミムスヒに、出雲神話は〈別天つ神〉カミムスヒによって指導されていく様子が、明確に記されているのである。それはかつての主宰神がタカミムスヒ・カミムスヒであったことを表すとともに、アマテラスを主宰神とする神話に脆弱さ・不備が残ったため、タカミムスヒ・カミムスヒを中心とした〈別天つ神〉を登場させ、神話に間接的に関与させることによって不備を補おうとした、記編者の意識が働いていると考えることができるのではないだろうか。

祖先神としてのタカミムスヒ

 タカミムスヒが数多のムスヒ神の中でも最高位のムスヒであり、生成・豊饒と関係する神であり、多くの神々を生み出した創造神的側面を持っていたことは、前述した通りである。
 しかし他にも、タカミムスヒは「祖霊神」として認識されていたようである。『古事記伝』三巻には、「此神(=タカミムスヒ)は、皇孫の命の皇祖なるのみに非ず、凡て万姓万物の御祖に坐ますなり」(※16)とあり、それゆえアマテラスに比肩する神として描かれているのだとしている。
 『新撰姓氏録』によれば、タカミムスヒの子孫として、以下の神々が挙げられている。

タカミムスヒの子孫

 【子】天太玉命、櫛玉命、伊久魂命
 【孫】天明玉、天神立命、天押立命、天日鷲翔矢命、治方
 【三世孫】天辞代主命
 【四世孫】国辞代主命
 【五世孫】天押日命、劔根命
 【八世孫】味耳命
 【九世孫】日臣命
 【十三世孫】大荒木命、建荒木命
 【その他「子孫」】道臣命

 上に記載がある神の中で、日臣命・道臣命などは記・紀にも登場し、代々の天皇を助ける記述も見られる。
 次に、タカミムスヒの子孫神を祖とした氏族を挙げる。

タカミムスヒ及びその子孫神を祖とする氏族

【宿禰】大伴宿禰、佐伯宿禰、弓削宿禰(二)、大伴太田宿禰、斎部宿禰、玉祖宿禰(二)、林宿禰
【連】大伴連、榎本連、日奉連、小山連(二)、畝尾連、高志連(二)、高志壬生連、玉作連、家内連、大伴山前連
【直】久米直、飛鳥直、葛木直(二)、役直、荒田直
【造】佐伯日奉造、神松造
【首】佐伯首
【その他】伊与部、葛木忌寸、仲丸子、恩智神主、大辛、波多祝

※(二)とある氏族は重出。上の表二つは『神道大系古典編六 新撰姓氏録』(神道大系編纂会、一九八一年)参照。

 タカミムスヒには、御子神とされる神々が数多く存在しており、タカミムスヒの数多くの御子神は、古代氏族の祖とされていた神が数多く存在しているのである。タカミムスヒを祖先とする氏族の中には、大伴氏や斎部氏など、有力な氏族もいた。
 『新撰姓氏録』には、タカミムスヒと同じくムスヒ神であるカミムスヒや、藤原朝臣の祖先であるツハヤムスビも、多くの氏の祖先としてその名が記載されている。先に述べたように、ムスヒ神とは生成神であるから、ムスヒ神の中でも最高位の神であるタカミムスヒに御子神やその子孫が数多くいたとされるのは不思議なことではない。しかし、ムスヒ神が神話で活躍し、多くの氏族の祖先と認識されていた理由は、それだけではないと考えられる。
 ムスヒ神、特に高次のムスヒ神であるタカミムスヒとカミムスヒは、多くの氏族・神々の祖先であり、それと同時に万物の生成神、創造神という認識があったものと考えられる。それゆえ記・紀の天地初発条に登場し、また顕宗天皇紀における「高皇産霊、預ひて天地を鎔ひ造せる効有します」という発言が見られるのであろう。多くの氏族の祖先としてムスヒ神が認識されているのも、タカミムスヒをはじめとしたムスヒの神が生成神であったため、と考えることができるだろう。

主なタカミムスヒの神話

 タカミムスヒという神は確かに天孫降臨や神武東征という宮廷神話に欠かすことの出来ない物語に関わった神であるが、これ以外の活躍に関しては、記・紀においてはほぼ全てが断片的な記述のみ認められない神である。神名は「ムスヒ」であり生成神であることは幾度も述べたが、タカミムスヒを祖先とする氏族が多いこと、多くの子孫神がいることなどは『新撰姓氏録』などによって確認できるものの、記・紀神話の中にタカミムスヒが多くの子を生んだという記述は、全くといって良いほど見られない。
 天孫降臨神話・神武東征以外でタカミムスヒが活躍する主な神話は「天地初発条」であるから、この神話の詳細な検討を試みる。

〔天地初発条〕
 記は、アメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カミムスヒが最初に高天原に成り出でて、世界が始まっていくことになる。この三神は「獨神」であり、「身を隠した」とある神々で、一般に〈造化三神〉と呼ばれている。記ではこの三神の後、ウマシアシカビヒコジ、アメノトコタチが同じく「獨神」として成り出で、〈造化三神〉と合わせて〈別天つ神〉と呼ばれている。
 一方、紀には複数の天地初発条が存在している。そして、紀に記載されている多くの伝と比較したとき、記における〈造化三神〉及び〈別天つ神〉というグループ分けが記独自のものであり、紀ではタカミムスヒを含めた〈造化三神〉が天地初発条に登場する伝が一つしかないことに気づく(ほぼ全ての伝において、中心となって誕生しているのはクニノトコタチ、クニノサツチである)。
 以下、紀における天地初発条(該当部分)を抜き出した。

[正伝]
 ……時に、天地の中に一物生れり。状葦牙の如し。便ち神と化為る。国常立尊と号す。次に国狭槌尊。次に豊斟渟尊。凡て三の神ます。乾道独化す。所以に、此の男純男を成せり。
[第一の一書]
 ……其の中に自づからに化生づる神有す。国常立尊と号す。亦は国底立尊と曰す。次に国狭槌尊。亦は国狭立尊と曰す。次に豊国主尊。……
[第二の一書]
 ……此に因りて化生づる神有す。可美葦牙彦舅尊と号す。次に国常立尊。次に国狭槌尊。
[第三の一書]
 天地混れ成る時に、始めて神人有す。可美葦牙彦舅尊と号す。次に国底立尊。
[第四の一書]
 天地初めて判るるときに、始めて倶に生づる神有す。国常立尊と号す。次に国狭槌尊。又曰はく、高天原に所生れます神の名を、天御中主尊と号す。次に高皇産霊尊。次に神皇産霊尊。
[第五の一書]
 ……葦牙の初めて埿の中に生でたるが如し。便ち人と化為る。国常立尊と号す。
[第六の一書]
 ……此に因りて化る神を、天常立尊と号す。次に可美葦牙彦舅尊。又物有り。浮膏の若くして、空の中に生れり。此に因りて化る神を、国常立尊と号す。

 異伝は多いが、表にまとめると次のようになる。

所伝 登場する神々
正伝 ①国常立尊 ②国狭槌尊 ③豊斟渟尊
第一の一書 ①国常立尊(国底立尊) ②国狭槌尊(国狭立尊) ③豊国主尊(豊組野尊・豊香節尊野・浮経野豊買尊・豊国野尊・豊齧野尊)
第四の一書1 ①国常立尊 ②国狭槌尊  
第五の一書 ①国常立尊    
第二の一書 ①可美葦牙彦舅尊 ②国常立尊 ③国狭槌尊
第三の一書 ①可美葦牙彦舅尊 ②国底立尊  
第六の一書 ①天常立尊 ②可美葦牙彦舅尊 ③国常立尊
第四の一書2 ①天御中主尊 ②高皇産霊尊 ③神皇産霊尊
※ 丸数字は、その神の生まれた順番を表す。( )内は、その神の別名を表す

 記において天地初発条で中心となり活躍した造化三神が登場するのは、紀では第四の一書のみ、それも「又曰はく~」という形で語られているに過ぎない。登場する神は記・紀においてほぼ共通でありながら、その扱いに大きな違いが見受けられる。
 記では、アメノミナカヌシ・タカミムスヒ・カミムスヒ・ウマシアシカビヒコジ・アメノトコタチら五神を〈別天つ神〉としているが、その後に誕生したクニノトコタチ・トヨクモの二神は、〈別天つ神〉同様〈獨神〉であり「身を隠した」神であるにも拘わらず、対偶神五組と共に〈神世七代〉に分類しているのである(図1参照)。


図1 古事記における別天つ神・神世七代
図1 古事記における別天つ神・神世七代

 一方、紀には「国常立尊より、伊奘諾尊・伊奘冉尊に迄るまで、是を神世七代と謂ふ」とある。紀には異伝が多いが、クニノトコタチが最初に誕生したとする伝が最も多いことから、ここでいう〈神世七代〉とは「クニノトコタチ・クニノサツチ・トヨクモ(またはウマシアシカビヒコジ)」の三神に、対偶神四組(一対を一柱と数えている)を加えた〈七代〉であると考えることができる(図2参照)。
 してみると、記における〈別天つ神〉〈神世七代〉の分類よりは、紀のほうがはるかに整然と分類されている、ということができるだろう。しかし、単独神と配偶神とを合わせて「七代」としている部分は不自然と言わざるを得ない。こちらも造化三神や別天神同様、中国思想の陽数七に合わせた分類と考えられるだろう。

図2 日本書紀における神世七代(正文による)
図2 日本書紀における神世七代(正伝による)

 記は紀の正文・異伝すべてを混合させた形式になっているのだということができるが、しかし記の描写を見ると、紀とは重きを置く点が全く異なっていることに気づく。
 というのは、記で〈別天つ神〉とされている五柱の神々は、紀においては主軸となっている神々ではない、伝によって登場にばらつきのある神々であるからだ。紀を見る限り、天地初発条に登場する「クニノトコタチ・クニノサツチ・トヨクモ」が天地初発条の主軸となる神であるのに対し、「アメノミナカヌシ・タカミムスヒ・カミムスヒ(+アメノトコタチ・ウマシアシカビヒコジ)」は主軸となる神々ではなかった、ということがいえるのだが、記ではむしろ後者が〈別天つ神〉として特別の地位を与えられているのである。
 異伝の多い紀と、その異伝を混合したと考えられる記、双方に共通してクニノトコタチ~イザナキ・イザナミへ至る流れは〈神世七代〉と呼ばれている。つまり、クニノトコタチ~イザナキ・イザナミという流れは、記・紀どちらにも貫かれる根本的な思想基盤であったということになる。紀の異伝(第二の一書)には、クニノトコタチの子孫としてイザナキが生まれた、とある。正文ではクニノトコタチの子孫としてイザナキが誕生したという記述はないが、クニノトコタチとイザナキは同系統にあり、そこからクニノトコタチとイザナキとに血縁関係がある、という伝が生じたのであろう。いずれにせよ、クニノトコタチの流れがイザナキに逢着していたということはいえる。
 『古語拾遺』では、記の天地初発の段に相当する伝(アメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カミムスヒが誕生した伝)より前、すなわち冒頭に、イザナキ・イザナミ二神の神生み・国生みの話が見られる。この描かれ方は、天地初発の段が二つある、というふうにもとれる。つまり、イザナキ・イザナミの属する〈神世七代〉が主軸となる「天地初発」と、〈造化三神〉が主軸となる「天地初発」とが存在した可能性があるということにある。
 ただし、記・紀ではイザナキ・イザナミの系統に焦点が当てられている。〈神世七代〉というクニノトコタチ~イザナキ・イザナミへの流れが描かれ、その流れはアマテラス・ツクヨミ・スサノヲという、記・紀に共通して神話における重要な神々へと連なってゆくのである。スサノヲの子孫・オオクニヌシは、アマテラスの孫・ホノニニギに国土を移譲し、ホノニニギの末裔が日本を統一する天皇となるのである。
 記・紀を比較すると、〈神世七代〉は一連の流れとして定着したと考えられるのに対し、造化三神や別天つ神という分類は、記独自の特殊な設定であるといえる。紀を見ると、アメノミナカヌシら〈造化三神〉が天地初発に誕生したという神話は、クニノトコタチ神話よりも圧倒的に数が少ないことから、紀編纂時にはむしろ、アメノミナカヌシ神話よりもクニノトコタチを始源とした神話が一般的だったことを表しているのではないかと考えられるから、造化三神(更にいえば、造化三神はムスヒ二神に、具体的な活動を行わないアメノミナカヌシを加えて三神とした分類である)を中心に据えた記編者には、何らかの理由があってあのような天地初発条を構成したものと考えられる。その理由とは、先に述べたが、記の編集方針として、タカミムスヒ・カミムスヒを天地初発の中心に据え、このムスヒ二神を神話を貫く原理としようとしたためととることができるだろう。記を見ると、〈別天つ神〉五柱の中でも、生じた時期に違いがあるのが分かる。「天地初めて発けし時」に生まれたのが、アメノミナカヌシ・タカミムスヒ・カミムスヒであり、「國稚く浮きし脂の如くして、久羅下那州多陀用弊流時」に生まれたのが、ウマシアシカビヒコジとアメノトコタチなのである。紀第四の一書でも、アメノミナカヌシ・タカミムスヒ・カミムスヒは一揃いで誕生していた。『古語拾遺』にも、アメノミナカヌシ・タカミムスヒ・カミムスヒの三神が一揃いで誕生している様子が描かれている(ただし、『古語拾遺』ではこの三神以外の神々に関する記述はない)。
 松村武雄は、記の天地初発条が造化三神を冒頭に置いている構成をとっていることについて、人々の意識が発達するにつれ、国土を表すクニノトコタチから始まる神話では、創成神話として未熟であると判じたためであるとし、「創成観上の不完全性を意識するようになり、その結果生成因を造化三神に求めた」と述べている(※17)
 第三節で既に述べたように、〈造化三神〉〈別天つ神〉とは、神話の不備を補う―神代世界の方向性を示す存在として位置付けられていると私は考えている。タカミムスヒの皇祖神としての地位はアマテラスに移譲されたものの、神話におけるその役割の重要性は失われていないということがいえるだろう。

その他のタカミムスヒ神話

 タカミムスヒが主な活躍を見せるのは、天地初発、天孫降臨神話、神武東征条においてであり、その他の神話は断片的な記述が見られるに過ぎない。
 先に挙げた三つの伝承以外でタカミムスヒの神名記載が見られる記事を、紀から抜き出してみた。

[第七段第一の一書]
 時に高皇産霊の息思兼神といふ者有り。思慮の智有り。
[第八段第六の一書]
 時に、高皇産霊尊、聞しめて曰はく、「吾が産みし児、凡て一千五百座有り。其の中に一の児最悪くして、教養に順はず。指間より漏き堕ちにしは、必ず彼ならむ。愛みて養せ」とのたまふ。此即ち少彦名命是なり。
[神武天皇即位前紀戌午年九月]
 時に道臣命に勅すらく、「今高皇産霊尊を以て、朕親ら顕斎を作さむ。……」
[顕宗天皇紀三年二月丁巳]
 是に、月神、人に著りて曰はく、「我が祖高皇産霊、預ひて天地を鎔ひ造せる効有します。民地を以て、我が月神に奉れ。若し請の依に我に献らば、福慶あらむ」とのたまふ。
[顕宗天皇紀三年四月丙辰]
 夏四月の丙辰の朔庚申に、日神、人に著りて、阿閉臣事代に謂りて曰はく、「磐余の田を以て、我が祖高皇産霊に献れ」とのたまふ。

 次に、『古語拾遺』におけるタカミムスヒの神名記載がある記事を、天地初発条・天孫降臨神話・神武東征条も含め抜き出した。

[天地初発]
 又、天地割判くる初に、天の中に生れます神、名は天御中主神と曰す。次に、高皇産霊神。〔古語に、多賀美武須比といふ。是、皇親神留伎命なり。〕次に、神産霊神。〔是、皇親神留弥命なり。此の神の子天児屋命は、中臣朝臣が祖なり。〕其の高皇産霊神の生みませる女の名は、栲幡千千姫命と曰す。〔天祖天津彦尊の母なり。〕其の男の名は、天忍日命と曰す。〔大伴宿禰が祖なり。〕又、男の名は、天太玉と曰す。
[天の石屋戸]
 時に、天照大神、赫怒りまして、天石窟に入りまし、磐戸を閉して幽居りましき。爾して乃ち、六合常闇にして、昼夜不分なし。群神愁へ迷ひて、手足罔措し。凡て厥の庶の事、燭を燎して弁ふ。高皇産霊神、八十万の神を天八湍河原に会へ、謝み奉らむ方を議らふ。
[オオアナムチの国造り]
 大己貴神(一の名は大物主神。一の名は大国主神。一の名は大国魂神なり。大和国城上郡大三輪神是なり。)と少名彦名神(高皇産霊尊の子。常世国に遁きましき。)と共に力を戮せ心を一にして、天下を経営りたまふ。
[国譲り]
 天祖吾勝尊、高皇産霊神の女、栲幡千千姫を納れたまひ、天津彦尊を生みましき。皇孫命〔天照大神・高皇産霊神の二はしらの神の孫なり。故皇孫と曰ふなり。〕と号曰す。既にして、天照大神・高皇産霊尊、皇孫を崇て養したまひ、降して豊葦原の中国の主と為むと欲す。仍りて、経津主神〔是、磐筒女神の子。今、下総国の香取神是なり。〕・武甕槌神〔是、甕速日神の子。今、常陸国の鹿嶋神是なり。〕を遣はして、駈除ひ平定めしむ。是に、大己貴神又其の子事代主神、並皆避り奉りき。仍りて、国を平げし矛を以て、二はしらの神に授けて曰さく、「吾此の矛を以て、卒に功治せること有り。天孫、若し此の矛を用ゐて国を治めたまはば、必ず平安くますべし。今吾隠去れなむ」とまをす。辞すこと訖りて遂に隠れましき。是に、二はしらの神、諸の順はぬ鬼神等を誅伏ひて、果に復命す。
[天孫降臨]
 時に、天祖天照大神・高皇産霊尊、乃ち相語りて曰はく、「夫、葦原の瑞穂国は、吾が子孫の王たるべき地なり。皇孫就でまして治めたまへ。宝祚の隆えまさむこと、天壌と与に窮り无かるべし」とのりたまふ。即ち、八咫鏡及薙草剣の二種の神宝を以て、皇孫に授け賜ひて、永に天璽〔所謂神璽の剣・鏡是なり。〕と為たまふ。矛・玉は自に従ふ。即ち、勅曰したまはく、「吾が児此の宝の鏡を視まさむこと、吾を視るごとくすべし。与に床を同じくし殿を共にして、斎の鏡と為べし」とのりたまふ。仍りて、天児屋命・太玉命・天鈿女命を以て、配へ侍はしめたまふ。因りて、又勅曰したまひしく、「吾は天津神籬〔神籬は、古語に、比茂侶伎といふ。〕及天津磐境を起し樹てて、吾が孫の為に斎ひ奉らむ。汝天児屋命・太玉命の二はしらの神、天津神籬を持ちて、葦原の中国に降り、亦吾が孫の為に斎ひ奉れ。惟、爾二はしらの神、共に殿の内に侍ひて、能く防ぎ護れ。吾が高天原に御しめす斎庭の穂〔是、稲種なり。〕を以て、亦吾が児に御せまつれ。太玉命諸部の神を率て、其の職に供へ奉ること、天上の儀の如くせよ」とのりたまふ。仍りて、諸神をして亦与に陪従へしめたまふ。復大物主神に勅したまはく、「八十万の神を領て、永に皇孫の為に護り奉れ」とのりたまふ。仍りて、大伴が遠祖天忍日命をして、来目部が遠祖天 津大来目を帥て、仗を帯びて前駆せしめたまふ。
[神武天皇]
 爰に、皇天二はしらの祖の詔に仰従ひて、神籬を建樹つ。所謂、高皇産霊・神産霊・魂留産霊・生産霊・足産霊・大宮売神・事代主神・御膳神。〔已上、今御巫の斎ひ奉れるなり。〕櫛磐間戸神・豊磐間戸神。〔已上、今御門の巫の斎ひ奉れるなり。〕生嶋。〔是、大八洲の霊なり。今生嶋の巫の斎ひ奉れるなり。〕坐摩。〔是、大宮地の霊なり。今坐摩の巫の斎ひ奉れるなり。〕

 記・紀以外の史料においても、タカミムスヒの活躍は主に天地初発条・国譲りを含めた天孫降臨神話・神武東征条に集中している。タカミムスヒは上記三つの事柄においては中心となって活躍する神であるが、他の事柄においてはその活躍を確認することがほとんどできない神である。
 事実、記におけるタカミムスヒは、アマテラスに比べ皇祖神とは言い難い位置にある。しかし、タカミムスヒはその主神たる性格を全て失ったというわけではなく、それどころか、紀ではほとんど語られることのない〈造化三神〉たる性質をも備え、〈別天つ神〉として神話世界をリードしていくのである。記におけるタカミムスヒは、宇宙を創造するエネルギー、神話を貫く原理として位置付けられているということができる。
 タカミムスヒのこのような神話への関与は、一体何を意味しているのであろうか。私は、タカミムスヒからアマテラスへ皇祖神が交替したことと、深い関わりがあると考えている。
 記・紀神話におけるアマテラスは、(タカミムスヒに替わる)皇祖神とされており、神話の主軸となる神である。しかし本当にアマテラスは皇祖神であるのか―皇祖神になりえたのかは疑問である。というのは、次章で詳述するが、天孫ホノニニギとアマテラスとの関係が、非常に希薄であるからだ。アマテラスとホノニニギの父・オシホミミの関係は「所有者と所有物」の関係に過ぎず、そのうえオシホミミがスサノヲから生まれた(スサノヲの所有物から誕生した)とする伝さえ存在しているのである。
 また、天孫降臨神話においても、タカミムスヒの影響は依然として色濃く残っている(紀第一の一書を除く全ての伝に、タカミムスヒの関与が見られる)。複数の伝が記載されている紀のみならず、記や『古語拾遺』、『先代旧事本紀』にアマテラスと並んで(あるいはアマテラスより優位に立って)タカミムスヒが天孫降臨を司令しているということは、皇祖神がタカミムスヒからアマテラスへと交替されたとはいうものの、それが浸透していなかった、アマテラスが皇祖神として確立していなかったため、タカミムスヒの痕跡を払拭することが出来なかったということを意味しているのではないだろうか。
 記にのみ見られるタカミムスヒの〈造化三神〉〈別天つ神〉という役割は、アマテラスを皇祖神とする記・紀神話が本来の皇祖神・タカミムスヒの関与なくしては成立しえない神話だということを、暗に示しているものといえるのではないだろうか。

※1……本居宣長『古事記伝』(『本居宣長全集』第九巻、筑摩書房、一九八六年)
※2……折口信夫「産霊の信仰」(同氏著『折口信夫全集』第二〇巻、中央公論社、一九六〇年)
※3……溝口睦子『王権神話の二元構造―タカミムスヒとアマテラス―』第二章第一節(吉川弘文館、二〇〇〇年)
※4……自動詞と見る説として西宮一民「ムスヒの神の名義考」(『上代祭祀と言語』桜楓社、一九九〇年)、他動詞と見る説に倉野憲司『古事記全註釈第二巻上巻篇(上)』(三省堂、一九七四年)がある。
※5……中村啓信「タカミムスヒの神格」(『古事記年報』二二号、一九六八年)
※6……上田正昭『日本神話』(岩波新書、一九七〇年)。
※7……松前 健「天照御魂考」(同氏著『日本神話と古代生活』有精堂、一九七〇年)でも、天照御魂神を太陽神と捉えておられる。
※8……松村武雄『日本神話の研究』第二巻(培風館、一九五五年)
※9……注(8)
※10……本居宣長『古事記伝』三之巻(『本居宣長全集』第九巻、筑摩書房、一九八六年)
※11……薗田稔「神話と祭式の共生構造」(『講座日本の神話4 高天原神話』有精堂、一九七六年)
※12……水林彪『記紀神話と王権の祭り』(岩波書店、一九九一年)
※13……注(10)。
※14……神野志隆光『古事記の世界』第二章(吉川弘文館、一九七六年)
※15……紀第八段第六の一書では、スクナビコナはタカミムスヒの子となっている。
※16……注(10)。
※17……注(8)。