米という語彙

 ご飯といえば、意味するものは大きく二つ。
 米を研いで炊いたものと、人間が食べる朝昼晩の食事、です。
 これだけでも「お米を洗って炊いたもの」=「食事の代表」ということが分かりますが、それではお米に関する語にはどういうものがあるのかと思い、『分類語彙表増補改訂版』(国立国語研究所、大日本図書、2004年)で「米」に関する語彙を見てみました。

 穀 穀類 穀物 五穀 米殻
 米麦 雑穀 新穀
 米 飯米 -米(まい)
 もち米 もち うるち
 玄米 白米 糖白米 半つき米 無洗米
 外米 輸入米 インディカ米
 内地米 日本米 ジャポニカ米
 産米 地米 上米 早場米 遅場米
 新米 古米 神米
 やみ米
 米粒 小米・粉米 くず米
 ぬか 米ぬか 糟糖 ふすま
 押し麦 ひき割り麦 糟麦
 穀粒 穀粉
 ……

 米の料理では

 雑炊 おじや クッパ
 茶漬け のり茶 湯漬け 猫飯
 カレーライス ライスカレー ハヤシライス
 ビーフストロガノフ
 焼き飯 チャーハン
 ピラフ 混ぜご飯 チキンライス オムライス かま飯
 かま飯
 ビビンバ
 どんぶり飯 どんぶり物 カツどん 親子どん 他人どん 天どん うなどん 牛どん うな重
 すし すもじ 茶巾すし
 のり巻き いなりずし 握りずし 握り
 巻きずし 押しずし バッテーラ
 五目ずし 散らしずし ばらずし なれずし かぶらずし

 日本人にとって食材といえばまず挙げられるのは、「米」。それにしても、たくさんあります。
 そういえば、以前長野県東信地域の方言調査をした時(→詳しくはこちら)、共通語ではどうなのかと疑問に思い、類語辞典を調べてみたところ、「怠け者」の類語として「ごくつぶし(殻潰し)」「米食い虫(穀象虫の異称としても用いられます)」がありました。何も働かないで食べるご飯は「無駄飯」といいますし、生活の道を失うことは「飯の食いあげ」(おまんま食い上げちまうよ……などと用いられますが)といいます。
 これも考えてみれば「米」を基準にして、「食べる量に見合うだけの働きをしない者」ということを表しているのでしょう。
 そういえば、居候をしている人や、冷遇されている人のことを「冷や飯食い」といいます。これも、温かいご飯にどのような価値基準があるのかを示す用法です。
 「米」は「お」をつけて「お米」とも呼ばれます。「お味噌」「お醤油」「お塩」など、私達日本人の食卓に欠かせないものには、尊敬・丁寧を意味する「お」をつけるのかも知れません。
 田圃や畑を意味することばも調べてみると、お米を栽培する田圃と、主に野菜を栽培する畑との違いが見えてきます。
 先に結論を言ってしまうと、日本人にとって主食はお米。なので、畑に関する語彙よりも、田圃に関する語彙の方が多いようです。
 語彙数が多い(=ひとつの事物を表すことばが多い)ということは、それだけ対象となる事物が人々にとって身近であったり、重要であったりすることがほとんどです(例えば、地域方言では、同じ北海道内でも酪農をする地域に「牛」を言い表す語彙が多いそうです)。
 身近なもの、重要な事物を言い表す語彙が多いということは、社会方言だけでなく、地域方言においても同じだといいます。

野菜と果物

 『広辞苑』で「くだもの」を調べたところ、[「木(く)の物」の意]とありました。「くだもの」の「だ」は「の」の意ということになります。
 『古語辞典』には、「くだもの」には果実の意味のほか、「間食物の総称」(つまり、お菓子も含まれる)、「酒のさかな」の意味もあるとありました。
 お菓子の「菓」は現在私達が思い浮かべる「果物」の意で、昔は果実が間食として食されたことから、この名がついたそうです。今は「お菓子」といえば、和菓子や洋菓子を想像しますが……。ちなみに、果実は和洋菓子に対して「水菓子」として区別されます。
 菓子は食事と食事の合間に食べる軽い食事のこと(つまり間食)をいったそうで、必ずしも甘い物である必要はなく、木の実草の実は「木菓子」などと呼ばれたそうです。
 現在は「和菓子」「洋菓子」という区分がありますが、昔からの日本のお菓子といえば「和菓子」。「和菓子」「洋菓子」という区分は、大正時代に出来たものなのだそうです。
 本題に戻って、野菜と果物について。
 農林水産省では「野菜」は「草の葉や実を食べるもの」、「果物」は「木になる果実」とされているそうです。これは、草本類と木本類という分類になります。
 一方で、市場の方は「おかずになるのが野菜、おやつにするのが果物」と答えられたそうです。
 そうすると、農林水産省ではイチゴやメロンは野菜ですが、市場では果物になります。逆に、農林水産省ではウメの実やギンナンは果物ですが、市場では野菜となるそうです。
 裁判の国アメリカでは、19世紀にトマトが果物か野菜かをめぐって裁判になったとか(判決は、「デザートに出すものではないから野菜」である)。果物と野菜とで関税が異なるために起きた裁判だそうですが…… 果物と野菜とを明確に区別するのはなかなか出来ないようです。

おいも

 かつて芋は野に自生しているものだったが、人間は自分の畑でも芋を栽培できるようになった。
 そこで、昔からある野生の芋は山にある芋=「ヤマイモ」と呼ばれるようになり、人間が自分の畑(=里)で栽培する芋が「サトイモ」と呼ばれ、区別されるようになったのではないか?
 ……と、大学の先生が仰有っていました。
 サトイモという語を、普段私たちの想像する里芋ととらえない地域もあります。サトイモをタイモ(田芋?)と呼ぶ地域(※1)、ジイモ(地芋?)と呼ぶ地域、ツチイモ・ドロイモ(土芋・泥芋?)と呼ぶ地域など、さまざまです。その他、里芋は地域によってホンイモ、マイモ、タダイモなどとも呼ばれます。けれどこれらはみな、里芋はもともと野生であった、泥の匂いがする芋、ととらえた語彙と考えることができます。ホンイモ、マイモ、タダイモなどの語は、里芋がもともとあった(外来種ではないとも、自然の、ともとることができます)芋、ととらえた語彙といえるかも知れません。
 サトイモの古名に「家つ芋」がありますが、これはやはり「サトイモが自分の畑(=里)で栽培できる」ことに因むのでしょう。
 ただ「イモ」と呼んで連想される芋の種類も、地域によってさまざま。イモが馬鈴薯を意味する地域、甘藷を意味する地域、里芋を意味する地域、山芋を地域とする地域などがあります。
 イモが馬鈴薯を意味する地域は主に東北から長野県にかけての地域。甘藷を意味するのは滋賀県から佐賀県、里芋を意味するのは茨城県・栃木県・埼玉県など。東京も里芋を意味する地域がほとんどで、千葉県は甘藷を意味する地域が多いようです。岐阜県は上半分が馬鈴薯を意味する地域で、下半分が山芋を意味する地域。これも東西文化の違いでしょうか。
 ちなみに、イモが里芋を意味する地域は日本全国にかなりばらけて、少数ですが存在します。
 全国に点在しているということは、古くは日本全域でイモといえば里芋であったのが、時代が下るにつれ他の芋が普及してきたことにより、里芋がイモ代表の地位を奪われたため……とも考えられますが、果たしてどうなのでしょう。

 現在は様々な種類のイモが出回っていますが、そのうち馬鈴薯(ジャガイモまたはジャガタライモ)は、その名の通りジャガタラ(ジャカルタ)から慶長年間(1596-1615)渡来したもの。甘藷(サツマイモ)は17世紀前半に中国・琉球を経て(あるいはフィリピンから長崎に)普及したもの。江戸中期には、青木昆陽がサツマイモの栽培普及に務め、「甘藷先生」と呼ばれたことは有名です(「甘藷先生」と呼ばれたのは没後のようですが)。
 そういえばサツマイモのことは、「十三里」ともいいます。「栗より(=九里四里)うまい」の意だそうですが、これは江戸期に用いられた駄洒落のようです。実際にサツマイモが栗より美味になったのは明治期以降 品種改良が行われた後のことで、それまでは「八里半」とも呼ばれたそうです。「九里(=栗)には及ばない」という意味でしょう。また、サツマイモは「丸十」とも呼ばれます。こちらは、薩摩藩藩主島津家の家紋が「丸に十」であったことに由来しています。その他、サツマイモには、中国から渡来したことに因む「唐芋(からいも、とういも)」などの別称もあります。
 サツマイモは中国から琉球に輸入され、西日本から全国へ広がっていったという経緯があるためか、西日本の方が東日本よりもサツマイモを表す語彙が多いそうです。西日本では唐から輸入されたのでカライモ・トーイモと呼ばれ、近畿地方では琉球から広まったのでリューキューイモと呼ばれ、江戸に入れば薩摩から伝わったというのでサツマイモ。伝播した経路が分かる名称でもあります。
 サツマイモ同様、外国から輸入された野菜には南瓜がありますが、このカボチャという語自体が、「カンボジア」の変化したものだといわれています。九州の一部地域では「ボーブラ」と呼ばれており、これはポルトガル語の「abóbora」に由来しているのではないかといわれています。ポルトガル語で「Cambodia abóbora」とは「カンボジア産の瓜」の意で、カボチャはもともとこの語を省略したのではないかといいます。
 現在は「カボチャ」で通じますが、江戸時代には、「カボチャ」が方言で「ボーブラ」が共通語と意識されていたようです。現在の共通語(山手方言)発祥の地である東京、及びそこを取り巻く関東圏では、「トーナス」という語彙も見られます。これは漢字にすれば「唐茄子」(『広辞苑』には「蕃南瓜」ともあります)で、唐から来た茄子ということになります(カンボジアから渡来したものですが、唐から来たと巷では信じられていたということか、あるいは舶来品には「唐」とつけたのでしょうか)。「唐茄子」は南瓜の一品種のことをも指し、別名カラウリ(唐瓜)。唐瓜は唐茄子の別称のほか、胡瓜やまくわ瓜の別称でもあるそうです。
 ニホンカボチャの別名がトーナスですが、カボチャの一品種として「唐茄子」という品種があるそうです。古くからあったカボチャがこれなのかも知れません(カボチャには日本カボチャ、西洋カボチャ、ソウメンカボチャなどがあるそうです)。

※1……畑で栽培するサトイモを「畑芋」、水田で栽培するサトイモを「田芋」というともあります(『広辞苑』)

食べ物雑学

【おにぎり】
 古くは「屯食(とんじき)」と呼ばれていました(『源氏物語』に登場しています)。平安時代には、強飯を握りかため、卵形にしたものをいったようです。この屯食は、主に饗宴などの際に、家来にお弁当として与えられた食べ物だったようです。
 現在の呼び名には、「おむすび」と「おにぎり」があり、これは地域差があるようです。「おにぎり」は名前の通り、ご飯を「握った」食べ物であることからの名前。「おむすび」は、神聖な食べ物であるお米を握った食べ物を、「むすびの神」(産霊。詳しくは「日本神話における皇祖神」の「2.タカミムスヒ」をご参照下さい)の名前になぞらえたという説もあります。

【お稲荷さん】
 「お稲荷さん」といえば、稲荷神社の呼び方の他、いなり寿司を指します。これは言うまでもなく、稲荷神社の祭神がキツネであることからきています(油揚げは、狐の大好物とされているため)。
 この他にも、いなり寿司は「しのだずし」「きつねずし」ともいいます。「しのだ」は有名な信太妻(しのだづま)からで、これは信太の森の葛の葉狐(くずのはぎつね)という白狐が、安倍保名と結婚し、一子をもうけたという話です(この子どもが、後の安倍清明とされています)。
 稲荷信仰では主祭神が倉稲魂(うかのみたま)。『日本書紀』によれば倉稲魂は、イザナキ・イザナミから、あるいはイザナキがカグツチ(火神。この神を生んだため、イザナミは火傷を負って神避ったという)を斬った時に生まれた神とされています。ウカとは食料の意。ちなみに稲荷神社で狐が信仰されるのは、食稲魂が食物を主宰する神・御食津神(みけつかみ)であり、その神名が「三狐神(みけつかみ)」と当て字されたことに因んでいるといいます(※諸説あります)。
 余談ですが、お稲荷さんは東西で味付け・形などに違いがあるといわれます。東日本では中に入れるご飯は酢飯、西日本では中に入れるご飯は五目ご飯など。

「おいしい」ということば

 余談ですが、「おいしい」ということばは、古くは「美し(いし)」といいました。
 これは主に女性が用いたことばで、のちに接頭語である「お」をつけ、「おいしい」となり、それが一般にも用いられるようになったといいます。
 方言で〈甘い〉を表すことばに、「ウマイ」があります。これは甘さ=美味の代表格ととらえられていたということを示しているのでしょう。
 ちなみに、「いし」を二つ重ねた「いしいし」とは、女房詞でいう「お団子」のこと(「まるまる」も同じく女房詞でお団子のことをいいます)。

参考

 講義ノート、『広辞苑 第五版』岩波書店、『百科事典マイペディア』(日立システムアンドサービス)、佐藤亮一監修『お国ことばを知る 方言の地図帳』(小学館)、川口謙二『日本の神様読み解き事典』(柏書房)