龍岡城五稜郭

龍岡城五稜郭

 箱館戦争で知られる函館の五稜郭とともに、日本に2つしかない星型稜堡。
 江戸時代の雑学②にも記載してありますが、この五稜郭は三河奥殿藩主の次男・松平乗謨(のりかた)の建てた建築物です。松平姓を名乗っていますが、松平乗謨は大給松平氏(家康以前に本家松平氏から分かれた大名)出身の「陣屋格」であり、城を持つ資格がなかったため、新陣屋として建てたのが、この五稜郭です。
 明治4年、廃藩・政府からの城郭取り壊し命令によりに多くが取り壊されてしまいましたが、御殿の一部である御台所(おだいどころ)だけは学校として使用することが認められました(現在 堀の内側には小学校が建っています)。この御台所は昭和4年、移転・復元され、現在も小学校グラウンドの隅に建っています。
 龍岡城の通用門(東)は佐久市野沢の成田山の門、大広間は佐久市落合の時宗寺本堂として、それぞれ使用されています。

旧中込学校

旧中込学校

 明治8年に完成した、日本最古級の擬洋風学校。窓に当時珍しいガラスを使用していたことから「ギヤマン学校」とも呼ばれていました。
 建築・設計をしたのは地元出身の市川代治郎氏で、建設費用は地域住民からの寄付であり、そういった教育への情熱が「長野県は教育県」と呼ばれていた所以の一つだったのでしょう。