髪型のこと

 「近世」項目中別に「江戸時代の結髪」項目がありますが、複雑で忘れてしまいそうなので、備忘メモを書きました(主に自分用)。

【一般市井】
●江戸時代、幼児は男女とも髪を伸ばさない(ついでにいえば、男の子は小さい頃は褌を着けない)。男児も女児も生まれて七日目に髪を剃り、3歳頃に「髪置」をする(現在の「七五三」の前身)。この頃から髪を伸ばし始め、5・6歳には髪を結い始める。『守貞謾稿』によれば、江戸では8・9歳以下の子どもは眉を剃った。女児は、8・9歳に銀杏髷を結い、10歳頃になれば額も眉も剃らなくなり、12・13歳頃までは銀杏髷が多く、14歳以上になれば島田髷に結った。
【吉原】
●新吉原に移転したばかりの万治(1658~1661)頃の太夫は、櫛も簪・笄も挿さなかった(櫛を挿すのは、正徳(1711~1716)くらいから)。
●寛文(1661~1673)前後は、遊女の髪型は立兵庫が多い。
●宝暦(1751~1764)になると、髷は兵庫髷から島田髷になる。
●文政(1818~1830)から慶応(1865~1868)までの髪型は、兵庫髷と島田髷が多かったという。
●「横兵庫」は、化政(文化(1804~1818)・文政(1818~1830)時代)以降の遊女の代表的な髪型。寛政(1789~1801)には立兵庫がなくなり、横兵庫・丸髷・天神髷・島田髷など種類が増える。
●文政(1818~1830)頃、呼出の髪飾りは、正式には前挿し8本、後挿し8本の合計16本(ただし、道中以外は略されることもあった)。下駄は三枚歯の黒塗り。下駄の高さは遊女の格により五分ずつ差があった。

 続きます。

 三谷一馬『江戸吉原図聚』(中公文庫)、喜田川守貞 著・宇佐美英機校訂『近世風俗志(二)』(岩波書店)を参考にしています。