アマテラスは言うまでもなく皇室の祖先神且つ太陽神であり、記紀神話において最高の地位にある神である。アマテラスの活躍が見られる伝承は、①誕生、②スサノヲとのウケヒ、③天の石屋戸、④天孫降臨、⑤神武東征である。その他には、神功皇后へ新羅征討を命じる、ヤマトタケル東征における間接的な関与なども見られ、これらは天孫降臨・神武東征と合わせて対外・対内的な建国院和といえるだろう。
 皇祖神としてのアマテラスは④天孫降臨と⑤神武東征で示されるが、既に指摘されているように、天孫降臨神話にはタカミムスヒ系とアマテラス系が存在しており、アマテラスが皇祖神たるタカミムスヒの座に就いたものと考えられるから(神武東征も同様)、これらはアマテラス固有の神話とは言い難い。
 そこで、アマテラスに固有の神話と考えられる①誕生、②スサノヲとのウケヒ、③天の石屋戸の三つの神話について、詳細な検討を試みる。

アマテラスの神名

 記においてアマテラスの神名は「天照大御神」で統一されている。アマテルは大空にあって照るという意味であり、それに尊敬の助動詞スをつけ、アマテラスが太陽神でも特に他と一線を画する神、即ち太陽神且つ皇祖神という特質をもつ神であるということを示していると考えられる(※1)
 一方紀では、日神・大日孁貴・天照大日孁尊、そして天照大神など複数の名が記されているが、紀第五段正文の記述(「是に、共に日の神を生みまつります。大日孁貴と号す。……一書に云はく、天照大神といふ。」)からすると、紀においてはオホヒルメノムチが正式名称として認識されていたようである。更に『万葉集』には日女之命とあり、松村武雄氏はアマテラスには「天照」系統と「ひるめ」系統二つの呼称があると指摘された(※2)。最も原初的な形では太陽神は「日神」と表記されていたとのであろうが、それが特に皇祖神たる太陽神となる場合には固有の名や性質が必要となった。それがヒルメやアマテラスという神であり神名であったと考えられるが、アマテラスという神名のほうが新しくあまり受容されていなかったこと、政治的な部分(皇太神宮儀式帳など)では天照大神の神名が統一的に用いられていたことが指摘されている(※3)。天照大(御)神とは、皇祖神たる太陽神として絶対化されたヒルメを表す神名だといえるだろう。天照大御神とは大空にあって照り輝く偉大な神という意味であり、まさに至上神を表すに相応しい神名である。「ひさかたの天照る月は……」(『万葉集』三六五〇)からも分かるように、アマテルは太陽だけでなく月にもかかる語である。あるいは、天照大御神を日神月神の祖であるタカミムスヒに比肩する神として位置付けようとした意図があったのかも知れない。弟にツクヨミ(月神)がおり、紀に「日神」「大日孁貴」とあることから、アマテラスが太陽神であることに疑問を挟む余地はないが、記紀神話の性質上、太陽神よりも皇祖神としての側面が強調された神だといえる。
 ヒルメ、アマテラスという神名については、アマテラスの皇祖神化・皇祖神の交替という問題とも密接に関わり合うものであるから、第四章で詳細に検討を試みる。
 次に、アマテラスの性質について検討していくことにするが、アマテラスは太陽神・皇祖神という二重の性質を持つ神であり、その活躍する神話ごとに強調される性質が異なっているため、神話ごとに検討を試みることにする。

アマテラスの誕生

 紀において、アマテラスを含めた三貴子の誕生が記載されているのは第五段であるが、その誕生譚も複数の伝が存在する。
 しかし、紀第五段正文では「天下の主者を生まざらむ」という宣言の後に、紀第一の一書では「御寓すべき珍の子を生まむと欲ふ」という言葉の後に誕生しており、第六・第一一の一書では誕生後すぐに天上統治を委任されているなど、誕生した時点で至上神であることが了解されている神であったことは、どの伝でも共通している。「此の子、光華明彩しくして、六合の内に照り徹る」(紀第五段正文)、「天地に照し臨ましむ」(同第一の一書)とあるように、全世界を照射する太陽神であることも、誕生の時点で明らかにされている。
 三貴子の誕生方法は、①イザナキ単独から生まれた(化生した)とする伝と、②イザナキ・イザナミから生まれたとする伝の二つに大別することができ、①の場合はイザナキの体から生まれたとする伝と、イザナキの持った鏡から生まれたとする伝とに分けられる(次表参照)。

誕生方法 所伝/神名 アマテラス ツクヨミ スサノヲ
イザナキの左目(禊) イザナキの右目(禊) イザナキの鼻(禊)
紀第六の一書 イザナキの左目(禊) イザナキの右目(禊) イザナキの鼻(禊)
紀第一の一書 左手に白銅鏡を持った時に化生 右手に白銅鏡を持った時に化生 首を廻らせて顧みた時に化生
紀正文 イザナキ・イザナミ二神から誕生
紀第二の一書 イザナキ・イザナミ二神から誕生

 イザナキ単独から生まれたか、あるいはイザナキ・イザナミ二神から生まれたか、二つの誕生方法が見られる時点で三貴子の出生に疑問を持たざるを得ないのだが、その齟齬はスサノヲが根国に行きたがって涕泣する箇所に表れている。イザナキ単独から誕生したはずのスサノヲは、イザナミを母と呼び恋しがるのである。それはつまり、三貴子はイザナキ・イザナミから誕生したという認識があった一方で、イザナキが禊をした際に誕生したという認識もあったということを意味している。三貴子の誕生方法は二種類あり、どちらも一般的であった、というよりも、両方が混合した状態で人々に認識されていた可能性がある。あるいは、別々の伝承があり、そのどちらも捨て難く、混合させた可能性もある。
 記においてイザナキが黄泉国を訪問し「愛しき我が那邇妹の命、吾と汝と作れる國、未だ作り竟へず。故、還るべし」と発言しているのは、国生み・神生みは天つ神に委任された、イザナキ・イザナミ二神で行うべき作業であったためであろう。しかし結局、イザナキ単独から成った三貴子がそれぞれ分担領域を統治してゆくことになるのである。神世七代の最後、生殖可能な男女神が生まれていながら、最も貴いはずの神々が何故対偶神の男神単独から成るのであろうかという疑問が生じてくる。一方、異なる伝では、三貴子はイザナキ・イザナミという対偶神から誕生しており、こちらはイザナキ・イザナミ二神による創成神話の続きと考えられる。
 三貴子の誕生は、以上のような不自然さだけでなく、中国神話(盤古神話)の影響、政治的意図の反映(出雲の神と考えられるスサノヲが、皇室の祖先神アマテラスの弟とされていること)なども入り混じり、複雑な様相を呈している。アマテラスが、その誕生と同時に至上神として天上統治を委任されているという記述からしても、この神話自体、政治的な意図によって後に創作されたものと考えることが出来るだろう。
 ここで注目しておきたいのは、アマテラスが生まれながらに至上神であることを確約されている点にある。
 アマテラスは、その能力や行いによって至上神たることが認められた神ではなかった。誕生する前、あるいは誕生の後すぐに素晴らしい性質を持つ神として認められ、高天原を統治することになった。このことは、皇室が血筋や生まれによって決定されることと関わりがあるだろう。穢れを清める行為である禊ぎによって誕生したということからも、アマテラスの誕生が皇室の不可侵性・神聖性を打ち出す神話であるということができるだろう。

ウケヒ

 最も貴い神として誕生した三貴子が、それぞれに割り当てられた領域を統治することになるが、末弟スサノヲだけが母を恋しがり、母イザナミのいる根之堅州国へ行こうとする。そこで、アマテラスに根之堅州国へ行くための許しを乞おうと天上に行くが、アマテラスは乱暴なスサノヲが天上へ来た理由を「我が国を奪はむと欲ふにこそあれ。」と考え、スサノヲに対し武装して待ち構える。スサノヲは己の潔白を証明するため、ウケヒを申し出る。
 ウケヒの内容は、アマテラスとスサノヲ、それぞれの持ち物から男か女を生み、生まれた子どもの性別如何によってスサノヲの心の正邪を問うという内容である。
 このウケヒの結果、アマテラスの正統後継者であり、ホノニニギの父であるアメノオシホミミが誕生する。

所伝 誕生した御子神
正勝吾勝々速日天之忍穂耳 天之菩卑能 天津日子根 活津日子根 熊野久須毘
紀第六段正文 正哉吾勝々速日天忍穂耳 天穂日 天津彦根 活津彦根 熊野橡樟日
第一の一書 正哉吾勝々速日天忍骨 天津彦根 活津彦根 天穂日 熊野忍蹈
第二の一書 天穂日 正哉吾勝々速日天忍骨 天津彦根 活津彦根 熊野橡樟日
第三の一書 勝速日天忍穂耳 天穂日 天津彦根 活津彦根 熊野忍蹈・
熊野忍隅

※ 傍線が引いてある神は、ホノニニギの父・アメノオシホミミを指す

 このウケヒにおいては、アマテラスの太陽神的性格は見られず、専ら皇祖神としての性格―天孫ホノニニギの親・アメノオシホミミの親としてのアマテラス―が見られる。
 しかし、アマテラスを皇祖神と位置づけるこのウケヒ神話に、アマテラスが皇祖神であることを疑わせる点が存在している。
 その点とは、

① アメノオシホミミはアマテラスと血縁関係にない
② アメノオシホミミがアマテラスの子ではないとする伝がある

の二点である。
 まず①についてであるが、アメノオシホミミはアマテラスまたはスサノヲの持ち物から生じた神であり、アマテラスが生んだ子ではない。三貴子誕生に関して、イザナキ単独から生まれたとする伝と、イザナキ・イザナミ二神の生殖行為によって誕生した伝とがあるのとは異なり、アメノオシホミミは確実にアマテラスと血縁関係にないということができる。
 それは、このウケヒが神々の世界の話であり、現人神たる天皇の祖先の誕生譚であるから、通常の人間とは異なる方法で誕生することのほうが自然であったためかも知れない。しかし、オシホミミ以下の神々は血統が重視されていくことを考えれば、やはりこのオシホミミの誕生の仕方は不自然と言わざるを得ない。アマテラスとオシホミミの関係は、単なる所有者と所有物であって、その結びつきはあまりにも希薄である。
 更に問題となるのは②である。これについては、紀に以下のようにある。

[紀第六段第一の一書]
 日神、素戔鳴尊と共に、相対ひて立たして、誓ひて曰はく、「若し汝が心明浄くして、凌ぎ奪はむといふ意有らむものならば、汝が生さむ児は、必ず当に男ならむ」とのたまふ。
 ……已にして素戔鳴尊、其の頸に嬰げる五百箇の御統の瓊を以て、天淳名井、亦の名は去来之真名井に濯して食す。乃ち生す児を、正哉吾勝勝速日天忍骨尊と号す。
[紀第六段第三の一書]
 日神、素戔鳴尊と、天安河原を隔てて、相対ひて乃ち立ちて誓約ひて曰はく、「汝若し姧賊ふ心有らざるものならば、汝が生めらむる子、必ず男ならむ。如し男を生まば、予以て子として、天原を治しめむ」とのたまふ。(中略)已にして素戔鳴尊、其の左の髻に纏かせる五百箇の統の瓊を含みて、左の手の掌中に著きて、便ち男を化生す。則ち称して曰はく、「正哉吾勝ちぬ」とのたまふ。故、因りて名けて、勝速日天忍穂耳尊と曰す
[紀第七段第三の一書]
 是に、素戔鳴尊、誓ひて曰はく、「吾、若し不善を懐ひて、復上来らば、吾、今玉を囓ひて生めらむ児、必ず当に女ならむ。如此ば、女を葦原中国に降したまへ。如し清き心有らば、必ず当に男を生まむ。如此ば、男をして天上を御しめたまへ。」(中略)
 素戔鳴尊、乃ち★轤然に、其の左の髻に纏かせる五百箇の統の瓊の綸を解き、瓊響も瑲瑲に、天渟井に濯ぎ浮く。其の瓊の端を囓みて、左の掌に置きて、生す児を、正哉吾勝勝速日天忍穂根尊

 紀第六段第一の一書には、スサノヲの生んだ子が男子であればスサノヲの潔白が証明されるとあり、第三の一書には、スサノヲの生んだ男子をアマテラスが自分の子として育てるとあり、紀第七段第三の一書には、スサノヲが生んだのが男子であれば天上を治めさせよとあるのである。即ちこの三つの伝において、天孫ニニギノミコトの父神アメノオシホミミは、アマテラスの子ではなくスサノヲの子とされているのである。
 紀においてウケヒが見られる伝は複数あるが、アメノオシホミミがアマテラスの生んだ子であるとするのは、紀第六段正文、そして明確な記述はないが、紀第六段第二の一書の二つと、記がそうである。紀ではいずれの伝も「スサノヲが生んだ子が男子であれば、スサノヲの潔白が証明される」としているから、アマテラスが生んだ子が男子であった場合には、スサノヲは邪心があったと判断されるのである(事実、スサノヲが生んだ子が男子であった伝には「勝ち験を得つ」という記述や、スサノヲが「正哉吾勝ちぬ」と発言したという記述が見られる)。記ではアマテラスの生んだ子が男子(アメノオシホミミ)であり、且つスサノヲの身の潔白が証明されるという話の運びを採用したため、「スサノヲが女子を生めば潔白である」という構造になっているものと考えられる。
 問題は、紀の多くの伝で、アメノオシホミミがアマテラスの御子神ではなくスサノヲの御子神であることが、明確に記述されている点にある。これはつまり、アマテラスとオシホミミは、血縁関係にないだけではなく、本来的には親子ですらなかったという可能性があるということを意味している。アメノオシホミミが本来何の関係もないアマテラスとホノニニギを結ぶ神として後に案出された神であるにしても、アマテラスの御子神の時点で既にこのような破綻が見られるということは、皇祖神アマテラスが不安定な存在であったことを示しているのではないだろうか。

天の石屋戸神話

 ウケヒ神話に続いて、アマテラス神話の中核ともいうべき天の石屋戸神話が展開される。
 ウケヒで心の清明が証されたスサノヲが、「自ずから我勝ちぬ」(記)と発言し、アマテラスが耕作した田を荒らすなどの暴虐を働いた後にアマテラスを傷つけ(又はワカヒルメを殺害し)、それに憤激したアマテラスが天の石屋戸に隠ってしまうというのが、天の石屋戸神話の発端である。
 天の石屋戸神話に関しては、石屋に隠るということは貴人の死を表しているとする葬送説(『万葉集』に見られる「石戸隠り」「いはがくり」の語の多くは、貴人の死を意味している)、アマテラスが太陽神であることから、太陽が隠れてしまう=日食説など、いくつかの見解があるが、現在では冬至の太陽に活力を与える鎮魂祭の祭儀神話とする松村武雄説(※4)が有力である。鎌倉期の『年中行事秘抄』には、トヨヒルメという神がタマフリによって復活する様子が描かれており、天の石屋戸神話はその祭儀の反映であると考えられる。
 天の石屋戸神話において留意しておかなければならないことは、天の石屋戸神話におけるアマテラスの神名が「天照大神」または「日神尊」と記述されていることにある。この神話におけるアマテラスは既に、皇祖神であり太陽神であるアマテラスであって、太陽神ヒルメではない。しかし一方で、ワカヒルメというアマテラス(オホヒルメ)に似た名をもつ織女が登場し、スサノヲの暴虐によって死んでいる伝も存在する。オホヒルメ・ワカヒルメという神名は、オホヒルメを正、ワカヒルメを副と見なしたものと考えることができる。記紀に見られる天の石屋戸神話は高度に発達した神話であるから、至上神として絶対化されたアマテラス自身を死なせるという形は採用せず、代わりにオホヒルメの分身ともいえるワカヒルメを死なせるという形式にしたのではないだろうか。とすれば、オホヒルメの分身ともいうべき名をもつ織女・ワカヒルメの死は、本来はオホヒルメ自身の死であって、天の石屋戸神話は日神オホヒルメが一旦死に、タマフリによって復活し、より偉大な力を持つ神―皇祖神アマテラスへと変化したことを示す神話として位置付けられるのではないだろうか。太陽神が各地で祀られていた形跡は『延喜式神名帳』に見られ、天照神、天照御魂神、天照玉命、天日神命などの神々がおり、更に先述したように顕宗天皇紀にタカミムスヒを祖とする日神も見られるから、太陽神はアマテラスのみが存在していたわけではなく、農業神としては最も一般的な、そして最高位の神が太陽神であるということができる。数多いる太陽神の中でもとりわけ偉大な神としてのアマテラスが誕生した神話として、この天の石屋戸神話が位置付けられ、考案された可能性はあるのではないか。
 天の石屋戸神話は太陽神としてのアマテラスが強く打ち出されている神話であるが、そのことを示す部分を記紀から引いた。
 アマテラスがスサノヲの暴虐に怒って天の石屋戸に隠った後、世界に様々の弊害が起きる様子が記紀に描かれている。

[古事記]
 爾くして、高天原皆暗く、葦原中国悉く闇し。此に因りて常夜往きき。是に、万の神は、狭蠅なす満ち、万の妖は、悉く発りき。
[紀第七段正文]
 此に因りて、発慍りまして、乃ち天石窟に入りまして、磐戸を閉して幽り居しぬ。故、六合の内常闇にして、昼夜の相代も知らず
[紀第七段第一の一書]
 故、天照大神、素戔嗚尊に謂りて曰はく、「汝猶黒き心有り。汝と相見じ」とのたまひて、乃ち天石窟に入りまして、磐戸を閉著しつ。是に、天下恒闇にして、復昼夜の殊も無し

 記には、アマテラスが天の石屋戸に隠った後、高天原のみならず葦原中国も暗黒に包まれ、数々の災いが生じたとある。アマテラスが全世界を照射する太陽神であると同時に、高天原のみならず地上世界・葦原中国をも貫く秩序原理であることが、ここで明示されている。
 この後、アマテラスはオモヒカネらの計略によって天の石屋戸から連れ出される。計画を考え出したこのオモヒカネという神は、タカミムスヒの御子神であり、アメノオシホミミの妻(ヨロヅトヨハタアキヅシヒメ)の兄とされている神で、天の石屋戸神話と天孫降臨神話を繋ぐ役割を果たしている神といえる。アマテラスを天の石屋戸から連れ出す際に活躍する神々が、アマテラス系天孫降臨神話における随伴神とほぼ重なることは、「アマテラスとタカミムスヒの対比」で示した通りである。
 アマテラスの太陽神的性格が強調されているこの天の石屋戸神話が、太陽神ヒルメの神話であり、アマテラス神話の原型であると私は考えている。そしてこの天の石屋戸神話でも、三貴子誕生神話同様、アマテラスの比肩するもののない絶対性・至上性が打ち出されている。

※1……アマテル神社など、アマテラス以外にも日神が存在した形跡が見られる。詳しくは次章参照。
※2……松村武雄『日本神話の研究』第二巻(培風館、一九五五年)五四六頁以下。
※3……寺川真知夫「天照大御神・高御産巣日神司令型天孫降臨神話の成立 その即位式・新嘗祭・大嘗祭とのかかわり」(『花園大学国文学論究』一四号、一九八六年)。
※4……注(2)。