出雲神話

 「出雲神話」は主に、『出雲國風土記』に見られる出雲地方特有の神話である。それは宮廷を中心として展開される『古事記』『日本書紀』に記載されている神話とは異なる神話で、一部は記・紀中にも見られる(これは出雲地方の政権が大和朝廷に服属した際、神々や神話の一部が、『古事記』『日本書紀』に吸収されていったためと考えられている)。
 出雲神話と記・紀神話(宮廷神話)とを結ぶ重要な神として、スサノヲが挙げられる。この神はアマテラスの弟で、性粗暴にして高天原から追放された神である。
 そのスサノヲは、記・紀中では、出雲に降り立ち、そこで英雄としての働きをみせる。ヤマタノヲロチという大蛇を退治し、クシナダヒメという女性を救い、妻に迎えるのである。またこの時、ヲロチの尾から現れ出た太刀を、スサノヲはアマテラスに献上した。この太刀が「草薙の剣」(天叢雲剣)である。
 こうしたスサノヲの活躍ぶりは、『出雲國風土記』には見て取れない。ただし、『出雲國風土記』には、スサノヲの御子神が数多く登場しており、スサノヲの姿はどちらかといえば土着神に近い描写をされている。そこで、スサノヲはもともとは出雲地方の神であったという説がある(スサノヲのスサは、出雲地方の地名「須佐」と関連があるという)。記・紀神話の最高神ともいえるアマテラスの弟に出雲と結びつきの深いスサノヲがいるということは、出雲地方がもとはかなり大きな宮廷に勢力であったことを意味しているのだろう。
 記・紀神話中に見られる出雲神話は、支配側である宮廷側によって改変されている可能性が高い。しかし、出雲神話の主神と考えられるオホクニヌシは、記・紀神話中の出雲神話でも重要な役割を担っている。
 以下、いくつかオホクニヌシの神話を挙げる。

オホクニヌシへの試練

 オホクニヌシ(別名は大穴牟遅神/大己貴命、八千矛命、大物主神、葦原色許男など。スサノヲに「意礼為大國主神」と告げられるまで「大穴牟遅神」と記述されているが、ここでは便宜的にオホクニヌシと記述する)といえば、スサノヲの子孫(または子)であると伝えられる神である。この神の有名な神話には、「因幡の白兎」がある。
 オホクニヌシの兄神たち(=八十神)は皆、ヤガミヒメと結婚するため、国をオホクニヌシに譲った。その後、因幡の白兎が鮫に皮を剥がされ、八十神に間違った治療法を教えられ苦しんでいたのを、医術の知識で助けたオホクニヌシは、白兎に「あなたはヤガミヒメを得るだろう」と予言された。この一連の神話が、「因幡の白兎」の神話である。この後、多くの試練を経て、オホクニヌシは白兎の予言通りヤガミヒメを娶ることができたのだった。
 ヤガミヒメが八十神の求婚を拒絶し、「吾者不聞汝等之言将嫁大穴牟遅神」と答えたので、オホクニヌシは怒り狂った八十神に殺されてしまう。嘆いたオホクニヌシの母は、カミムスヒに助力を乞うた。
 高天原(宮廷神話)で活躍するのがタカミムスヒ(「天孫降臨」に関する一連の神話で主として活躍する)であるのに対し、出雲神話で活躍するのは、タカミムスヒに対応する名称を持ったカミムスヒである(詳細は「アマテラスとタカミムスヒ―日本神話における皇祖神― 2.タカミムスヒ」を参照)。この二神は、高天原におけるアマテラス、出雲におけるオホクニヌシとはまた異なる次元で、高天原または出雲の主神といえる存在である(後にオホクニヌシが力を合わせて国作りを行ったのは、カミムスヒの御子神・スクナビコナであった)。
 オホクニヌシが再び八十神に殺されることを懸念した母神は、オホクニヌシを根之堅洲国に赴かせる。根之堅洲国の主神はスサノヲ、即ちオホクニヌシの祖先神であった。
 だが、オホクニヌシが根之堅洲国へ赴いたのは逃避ではなく、スサノヲの試練を受けるためであった。根之堅洲国は死の国であり、そこで試練を受けることは、偉大な王として蘇る儀式でもあった。古代、男性が成人するには何らかの試練を受け、それを乗り越えることが条件であった。とりわけオホクニヌシは出雲の主神となる神であったから、その試練は苛烈なものであった。
 ここで登場するのがスサノヲの娘・スセリビメである。この女神はオホクニヌシと「目合而相婚」した。実質的なオホクニヌシの妻である。
 そこでスセリビメは、父神スサノヲが夫オホクニヌシに試練を与えるときも、オホクニヌシを陰ながら助けた。スセリビメの助力によって見事スサノヲの課した試練を越え、スサノヲの所有する生大刀・生弓矢・天の詔琴を盗み出したオホクニヌシは、スサノヲに「生大刀と天弓矢で八十神を滅ぼし、国土を統一してオホクニヌシを名乗れ」と告げられた。
 その言葉に従い、八十神を討ち滅ぼしたオホクニヌシは、出雲の主神となった。
 因みに、オホクニヌシが八十神から憎まれたきっかけであるヤガミヒメも、オホクニヌシの妻として迎えられ子を生んだが、正妻であるスセリビメを慮り、生んだ子を木の俣に差し挟んで帰ってしまった。そこでその御子神の名を「木俣神」と名づけたということが、記に記載されている。

オホクニヌシの国作り

 オホクニヌシが少名毘古那神(すくなびこなのかみ。紀では少彦名命。タカミムスヒあるいはカミムスヒの御子神)と共に国作りを行ったという記載も、記・紀に見てとれる。ただし、記・紀ではオホクニヌシの国作りが「出雲」であると見なされるのに対し、出雲神話ではオホクニヌシが創造したのは「天地」であると書かれている。
 『出雲國風土記』には、多くが地名と、その地名の由来が記されている。「母理(もり)の郷(さと)」条や「山代の郷」条には、「所造天下大神大穴持命……」などとある。
 「出雲」という地名について、『出雲國風土記』には、「所以號出雲者八束水臣津野命詔八雲立詔之故云八雲立出雲」とある。八束水臣津野命(やつかみずおみつののみこと)は、『古事記』にはスサノヲの四世孫、オホクニヌシの祖父としてその名が見られるが、『出雲國風土記』に「國引坐八束水臣津野命……」とあり、恐らくは出雲地方の祖先神的位置にあった神と考えられている。

 続きます。

余談

 室町時代から、オホクニヌシは七福神の一つ・大黒と習合した(「大国」をダイコクと呼べることが関係している)。大黒は寺の台所に祀られたので、僧侶の妻のことも「大黒」と呼ぶようになった。

参考

 『広辞苑』第五版(岩波書店)、『百科事典マイペディア』(日立システムアンドサービス)、坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋『日本書紀(二)』岩波書店、倉野憲司・武田祐吉『日本古典文学大系1 古事記祝詞』岩波書店