舞妓さん

 現在は義務教育制度があるので、中学卒業以降でないと舞妓さんになれないということですが、かつて舞妓さんは本当に子どもであったので、「舞子」と書いたそうです。現在のまだなりたての(店出し(※1)してから1年くらいの)舞妓さんは、「割れしのぶ」という髪型を結っています。この髪型は、江戸時代にはまだ幼い娘さんの髪型でした。
 舞妓さんや芸妓さんは、嶋原の太夫のようにお公家さんを相手にする方々と異なり、どちらかといえば町方の人を相手にしていたそうです。なので、舞妓さんの姿は江戸時代の町娘の盛装。だらり帯は、江戸時代後期に役者さんがだらり帯を結んでいたたものが流行して、それが取り入れられたかたちだそうです。江戸時代においては、遊里と歌舞伎が文化や流行の発信源でした。
 舞妓さんは芸者さんになる前の人たち(芸者さん見習い)で、いわゆる「雛妓(おしゃく)」のことをいいます。ただ、一般に「雛妓」は玉代が半分(なので「半玉(はんぎょく)」とも呼ばれる)に対し、舞妓さんは宴席で舞いを披露するのが主で、玉代は芸者さんと同額だそうです。舞妓さんは見習いなので年齢も若い方ばかりのようですが、芸者さんには70歳、80歳の方もいらっしゃるそうです。
 舞妓さんは仕込み(※2)の後 見習いとしてお座敷に出ますが、このときの帯は短く「半だら」というそうです。一ヶ月ほど見習いをして店出しとなり、店出し当日は姉芸妓さんに引かれて花街を挨拶して回るそうです。舞妓の名前は、この姉芸妓の名前から一字もらってつけるのが慣例だということです。
 なりたての舞妓さんは、「割れしのぶ」を結い、おこぼの鼻緒が紅色や白で、1年目は紅を差すのは下唇だけ。因みに、舞妓さんは地毛で髷を結いますが、襟替え後は鬘を用いるということです。

※1……舞妓さんとしてデビューすること。
※2……デビュー前に言葉遣いや行儀作法を学ぶ期間のこと。

舞妓さんの髪型

【割れしのぶ】舞妓さんの初期の髪型。店出ししてから2年目くらいまで結う。なりたて直後の挨拶回りの時は「店出し」と呼ばれる正装の髷を結う。2年目からは、節分や祇園祭のとき自由な髪型を結えるようですが、それまではこの割れしのぶのまま変えることはできないそうです。
【おふく】2~3年目くらいから結う髪型。この髪に結えるということは、「割しのぶ」を卒業し、襟替が一歩近づいたことを意味しているそうです。簪も、割れしのぶの頃よりは少し地味に。
【都をどり】4月1日から始まる都をどりのフィナーレ「総をどり」専用の髪型。島田髷系統の結髪。
【奴島田】普段「おふく」に結っている舞妓さんが正月や八朔など正装・黒紋付を着る時に結う。襟替の1ヶ月ほど前にも結われる。
【先笄】襟替え(舞妓さんが芸妓さんになること)の前2週間くらい結う髪型。舞妓さん最後の髪型で、江戸時代には京坂の町家の若奥様の髪型。その名残で、この髪型に結うときはお歯黒にする。
【お染、結綿、菊重ね、お俊、おしどり、ふくら雀】節分の時(「お化け」など)に結われる髪型。
【勝山】普段「おふく」に結っている舞妓が祇園祭の頃に結う髪型。なでしこの花をあしらった銀色の簪(梵天)をつける。

つなぎ団子

 上七軒や祇園など、花街にある●が繋がった紋章を「つなぎ団子」と呼びます。これはみたらし団子(御手洗団子)を象ったものだそうです。
 太閤豊臣秀吉が、北野大茶会のとき七軒の茶屋(これが最も古い花街・上七軒の語源といわれます)から名物であったみたらし団子を献上され、それを気に入り団子を商う権利と法会茶屋株を上七軒に与えたということに因んでいて、そのみたらし団子が花街を表す紋章になったそうです。
 これが後に祇園にも伝わり、現在でも祇園につなぎ団子柄の提灯が下がっているのです。祇園東や祇園甲部の紋章もこの団子つなぎとなっています。
 因みに、赤地に白い団子柄の提灯はをどりの時期、それ以外の時(平生)は白地に赤い団子柄の提灯であるそうです。

 大原梨恵子『黒髪の文化史』(築地書院)、高橋利樹『京の花街「輪違屋」物語』(PHP研究所)、小林由枝『京都でのんびり 私の好きな散歩みち』(祥伝社)、ギオンコーナー 京都伝統芸能館(http://www.ookinizaidan.com/gioncorner/index.html)の展示 を参考にしています。