※ 主に吉原と嶋原の遊女についてまとめています。
太夫 | 共通 | 公娼最高位の遊女(松)。 能ではシテの尊称として使われていた。 江戸時代初期、京の街や四条河原で能の興行があって、遊女の中ですぐれた者が出演したとき、それらを昔の用例に従って太夫と称した。 それが起源となって、遊女の上職を太夫と称したと伝えられている。 天和・貞享のころ揚代(=芸娼妓を揚屋に呼んで遊ぶ代金)は銀76匁(※ 銀60匁=1両)。(『女性語辞典』東京堂出版) 嶋原・大坂新町などでは「こったい」と呼ぶ(「こちの人」から。「うちの人」の意)。 松の位は大夫の異称で、秦の始皇帝が雨宿りをした松に大夫の位を授けた故事によるといわれる。(『日本史小百科 遊女』東京堂出版) |
天神 | 嶋原・ 新町 |
太夫に次ぐ遊女の位(梅)。揚代が銀25匁であったことから、北野天神の縁日(25日)にかけてこう呼んだ。(『広辞苑第五版』岩波書店) かつては太夫の下位、天神の上位に三八という階級が嶋原においてあったようだが、極めて短期間であった(名称は、揚代が38匁であったことから)。(『女性語辞典』東京堂出版) 「まんた」・「まやんた」とも(「もしあなた」の略)。天職とも。 文化年間に「天神」というのは神号なので改称の命がで、新町では「転進」という同音の名にした。 かつては大天神・小天神という格付があった。(『日本史小百科 遊女』東京堂出版) |
囲 | 嶋原・ 新町 |
鹿恋・鹿子位とも。 太夫・天神に次ぐ位(桐)。きんごカルタで、14点で止めるのを「かこう」といい、初め揚代が銀14匁だったのでこの名がついた。きんご。(『広辞苑第五版』岩波書店) 十五・十六とも呼ぶ(揚げ代から)。(『女性語辞典』東京堂出版) 元禄以前に嶋原・新町において使われた名称。 延享頃には小天神・見世天神と呼ばれるようになっていたらしい。(『日本史小百科 遊女』東京堂出版) |
局 (端、見世) |
共通? | 表に長押を付け、内に3尺の小庭を設け、広さ9尺、奥行2間または6尺の局にいたことから。(『広辞苑第五版』岩波書店) 端女郎、見世女郎、けちぎり=仮契。下略して「けち」。 新町の端に四階級あり、三匁取・二匁取・一匁取・北向があった(嶋原は三匁取を欠く三階級)といい、異名を三匁取は汐、二匁取は影、一匁取は月といった。(『女性語辞典』東京堂出版) 京都柳町に遊郭が出来た当時は、太夫と端女郎の二階層であった。 端女郎というのは、柳町時代から寛保期までの称で、太夫以下の遊女をすべて総称して端女郎と呼んだ。これは見世張の時、太夫は中央に座し下等の遊女は端に居たことによる。 梅茶の出現により、局女郎は消失し、一部は散茶、他は一歩下って梅茶に零落していく。(『日本史小百科 遊女』東京堂出版) |
格子 | 吉原 | 太夫に次ぎ、局女郎の上に位した女郎。上方の天神職に相当。表通りに面した格子の中に控えていたことから。(『広辞苑第五版』岩波書店) 新吉原初期(寛文年間)に端女郎より分れた者である。(『日本史小百科 遊女』東京堂出版) |
花魁 | 吉原 | 妹分の女郎や禿が姉女郎を指して「おいら(己等)が」(または「おいらのところのあねさん」)といって呼んだのに基づくという。 姉女郎の意から転じて上位の遊女(太夫・格子)を指す。(『広辞苑第五版』岩波書店) 1761(宝暦11)年に太夫・格子がいなくなり、散茶女郎が太夫格になったものを「花魁」と呼んだともいう。(『日本風俗典』弘文堂) ※ 花魁については、「太夫」と書いてある本や、「部屋持以上の遊女」と書いてある本があり(また単に遊女・女郎を指す場合もあるようです)、混同があったようです。北村鮭彦『お江戸吉原ものしり帖』(新潮文庫)によれば、「呼出、昼三、附回の三階級の遊女が花魁と呼ばれた」とあります(吉原で太夫職・格子職が消滅して以後は、呼出が最上位)。 |
散茶 | 吉原 | 山茶とも。 元禄頃、吉原に出現した遊女の位。 元は町中の風呂屋女(垢掻、あかかき)であったものを、寛文五年、奉行所がからめとり、これを吉原に投入し、堺町、伏見町に定住せしめた連中の階級名であったが、やがてこの階級から優秀な遊女が輩出したのと、その謙虚な態度が客の好みに合ったのとで次第に勢力を伸ばし、やがて従来存在していた太夫、格子などの上位階級を凌いで最上位にのぼった。のちの座敷持・部屋持の昼三がそれである。「さんちゃ」の呼称は、従来先住した太夫・格子が唱えた蔑称で、「さんちゃ」は床に入っても客を「ふり出さない」ことからつけた名という。(『女性語辞典』東京堂出版) |
呼出 | 吉原 | 太夫・格子の位がなくなって以後、散茶の中から出た最上位の遊女。張見世をせず、仲の町で客に会ったのでいう。(『広辞苑』第五版) 太夫、格子の地位にとって代るのが、呼出といわれる遊女で、仲之町を道中する特権をもつ。(『日本史小百科 遊女』東京堂出版) 昼三のなかで上級なのが呼出女郎。道中をするのはこの花魁であった。(『江戸吉原図聚』中公文庫) |
昼三 | 吉原 | 昼夜で揚げ代が3分であったことから。「中三」とも書く。太夫・格子女郎のなくなって以後、最高位の女郎。古くは散茶女と呼んだ。(『広辞苑第五版』岩波書店) 呼出と同じ散茶系、やはり仲之町を道中できる。(『日本史小百科 遊女』東京堂出版) 呼出でない昼三を平昼三と呼んだ。(『江戸吉原図聚』中公文庫) |
附廻し | 吉原 | 昼三につぐもので、揚代が2分で、昼夜別々の切売り、つまり片仕舞はしなかった。(『江戸吉原図聚』中公文庫) 呼出・昼三と同じ散茶系で、付廻しという道中も張見世もできない階層。(『日本史小百科 遊女』東京堂出版) |
埋茶 | 吉原 | 梅茶とも。 散茶を水で薄めたものを埋茶(梅茶とも)と呼んだことからという。 寛文年中、吉原に生じた階級名。当初は太夫・格子・散茶についで第四位であったが、散茶の昇格とともに第二位となって呼び名も座敷持・部屋持となった。(『女性語辞典』東京堂出版) |
新造 | 吉原? | 振袖新造(振新)、袖留新造(留新)、番頭新造(番新)がある。 振袖新造は禿からなるもので、客を取るものと取らないものがあった。鉄漿をつけず、振袖を着て、姉女郎の道中のお供をした。 袖留新造は振袖新造によい客がつき、袖留にして一部屋をもち、上妓になれない見世張の突出し※で一本になった遊女。 番頭新造は昼三など上妓の世話をした。年季明けののち勤めるので三十歳を過ぎていて、色を売ることはなかった。(『江戸吉原図聚』中公文庫) ※突出しとは新造がはじめて客を取り、一本立ちするお披露目のことをいう。 見世張突出しと道中突出しとがあり、前者は呼出しになれない遊女がするもの、道中の突出しは最高の呼出し昼三になるものがするもので、普通「突出し」とは後者を指す。道中突出しの費用は御役といわれる後ろ楯になる姉女郎が負担し、全額の費用は二百~五百両を要したという。(『江戸吉原図聚』中公文庫) |
禿 | 共通 |
参考:『女性語辞典』(東京堂出版)、『江戸吉原図聚』(中公文庫)、『日本史小百科 遊女』(東京堂出版)、『広辞苑』第五版(岩波書店)、『日本風俗辞典』(弘文堂)、北村鮭彦『お江戸吉原ものしり帖』(新潮文庫)