近世文学の梗概

 江戸時代は乱世がなく平和であったため、経済活動が飛躍的に発展した時代でした。そのため、経済活動の担い手であった町人階級が強い経済力を背景に、文化・芸術の創作・享受に参加できるようになったのです(中世以前は、文芸とは主に貴族階級のものでした)。
 また、印刷術の進歩(木版印刷)によって書物の大量生産が可能となったことが、書物の普及・文学の隆盛をもたらしました。
 近世文学は、18世紀前半までの上方(京都・大阪)を中心とした上方文学期(元禄時代に頂点に達するため、元禄文学とも呼ばれます)と、それ以後の江戸を中心とした江戸文学期とに分けられます。江戸文学期は、前期を天明文学、後期を化政文学と呼びます。
 上方文学期を代表する文学者には井原西鶴(小説)・松尾芭蕉(俳諧)・近松門左衛門(演劇)がいました。
 天明文学期には山東京伝(黄表紙)などがいましたが、松平定信の寛政の改革のために多くの作家が筆を折ることになり、天明文学の中心的なジャンルは衰えていきました。
 文化・文政年間(1804―1830)に読本(代表作家:上田秋成・滝沢馬琴)、滑稽本(代表作家:十返舎一九・式亭三馬)、人情本(為永春水)などが主流となりました。

近世文学の特徴

 近世では、経済活動の発展や印刷技術の発達に伴い、文学作品が一般に広まったと上述しました。
 今なお『古事記』研究者にとって座右の書である『古事記伝』(本居宣長著)に代表されるように、この時代は国学が発達した時代でもありますが、日本古来の文学作品も流布し、それらのパロディー作品も多く生まれています。
 例えば、柳亭種彦の『偐紫田舎源氏』が『源氏物語』の翻案であることはすぐに分かりますが、井原西鶴の『好色一代男』にも光源氏や在原業平(『伊勢物語』)のパロディー的要素が見られます。
 『好色一代男』の主人公・世之介は、7歳で恋を知り、生涯相手にした女性は3742人、男色の相手は725人とあり、多くの女性との恋の遍歴や〈色好み〉なところは、光源氏や業平を連想させます。
 また、『好色一代男』には「形見の水櫛」という段があるのですが、この段は『伊勢物語』の「芥河」という段と非常によく似ています。しかし、『好色一代男』のほうが面白おかしな描き方をされており、その点『好色一代男』の世之介は「俗源氏」「俗業平」というべきキャラクターであるといえるでしょう。つまり、『好色一代男』は『源氏物語』『伊勢物語』のパロディーである、ということがいえるのです。また同じく井原西鶴の『好色一代女』に登場する一代女は、当時「落魄したかつての美女 」というイメージが定着していた小野小町を模しているのではないかとも考えられています。
 作品全体のパロディーだけでなく、近世文学には古典作品に典拠があると考えられる表現が多く見られます。
 たとえば上田秋成の『雨月物語』巻の四「蛇性の婬」では、物語の舞台は〈紀の国〉とあります。これはあの有名な安珍清姫伝説の「道成寺」がある場所なのです。タイトルにある「蛇性」と、安珍を恋い慕い「蛇」と化した清姫の繋がりが冒頭で既に見えています。
 そして「九月下旬、けふはことになごりなく和たる海の、暴かに東南の雲を生して、小雨そぼふり来」て、主人公・豊雄が雨宿りしようとしたところで、豊雄はヒロイン・真女児と出会います。雨宿りは古来男女の出会いのモチーフとして用いられていますが、雨や水はのイメージを伴っています(例えば、蛇に似た想像上の動物・みずちとは、「水つ霊」=「水の霊」という意味です)。そして東南の雲。東南とは「たつみ」とも読み、辰巳すなわち龍・蛇のイメージの反映です。そして、東南の方角は、異界の者が訪問してくる方角でもあります。そこからこの、ヒロイン・真女児の登場場面は、異界の者=蛇の化身である真女児を表しているといえるのです。
 『雨月物語』は読本であり、知識人相手の作品といえます。そのためか、何気ない修辞のほんの一部分から、物語の構想全体に関わりをもつものにまで典拠が用いられています。描かれている(明確に分かる)表面的な物語のみではなく、様々な場所で用いられている典拠の意味をも考えあわせることで、物語の重層性に気づき、そこに物語を多義的見る視点が生まれてきます。これは、文学が大衆のものになり、印刷技術によって一般庶民が多くの作品を得ることが出来たことによる近世文学の特徴の一つといえるのではないでしょうか(本歌取りと少し似てもいますが)。
 そしてこの時代には、近松門左衛門の演劇理論〈虚実皮膜論〉(穂積以貫『難波土産』)や、上田秋成の物語論(『ぬば玉の巻』)など、現代にも通用する優れた文学理論が見られます。このこともまた、人々の文学に対する造詣が深まったことを意味しているのではないでしょうか。

江戸の本屋

 江戸の本屋には、学問・教養書・物語書などの出版販売を営む書物屋(書物問屋)、黄表紙・合巻などの絵草紙や錦絵・浄瑠璃本を出版する絵草紙屋(地本問屋)、貸本屋がありました。
 当時は本の値段がかなり高価であったため、人気小説は貸本屋の商品として読む読者が多かったようです。

参考

 『広辞苑』第五版(岩波書店)、『江戸東京博物館 総合案内』(江戸東京博物館)