三種の神器

 八咫鏡・八尺瓊勾玉・天叢雲剣のことを指す。
 『古事記』及び『日本書紀』第九段第一の一書ではその三種の宝が、アマテラスから天孫へと渡されたが、『日本書紀』第九段第二の一書には「宝鏡」のみしか見られず、『古語拾遺』(※)には鏡と剣の二種の宝しか見られない。また、アマテラスが鏡を自分の魂と思うようにと発言していることから、所謂「三種の神器」の中で鏡は別格の扱いを受けている。
 これらのことから、本来は「鏡」のみが神宝の起源として語られ、そこに別の説話として存在していた剣が宝に加えられ、さらに勾玉が加わったのではないかという。

※……中臣氏と並んで祭政に関わってきた斎部氏が記した歴史書で、記紀に漏れた伝承を含む。

八咫鏡

 「八」は実際の数ではなく、数が大きいことを意味するので、「八咫鏡」は単に「巨大な鏡」と解される(※咫は現在の16センチ弱)。
 アマテラスが天の岩屋戸にこもって世界が暗黒に包まれたとき、アマテラスを天の岩屋戸から呼ぶための神事において用いられた鏡で、イシコリドメが作ったとされる。鏡は太陽の光を反射することから、とくに日神との関わりが強いとされ、アマテラスは天孫ホノニニギに八咫鏡を授ける際、「この鏡を私の魂とし、私を拝むようにこの鏡を拝みなさい」と発言している。
 この鏡は伊勢神宮に祀られているが、神聖性や霊威性を損なう恐れがあるため、見ることはかなわない。ただ、『皇太神宮儀式帳』によれば、鏡の納められている御樋代の直径が1尺6寸3分(約49センチ)で、鏡の直径もおよそそれに近いと考えられる。
 ちなみに八咫鏡と同じつくりの鏡が宮中に置かれているそうで、その鏡は宮中の別殿・賢所(内侍所)に祀られている。
 古代の人は水に映った姿や影を、自分の魂と考えたという(幕末にあっても、写真を撮ると魂が抜けると怖れられていたが、これも自分の霊魂が自分の体の外に抜き取られることを怖れたためと考えられる)。鏡は水よりも鮮明に人の姿を映すため、霊魂を映し出す神聖な道具としてとらえられたのだろう。邪馬台国の女王・卑弥呼が銅鏡を与えられたことは『魏志』倭人伝に記載されているが、霊魂を司るシャーマンにとって鏡は重要な呪具であったと考えられる。
 このほか、倭建命(やまとたけるのみこと)が船に鏡を懸けて陸奥国に侵攻したところ、それを見た蝦夷の首長は戦わずして降伏した話などがあり、鏡には呪術的な力があったことがうかがえる。
 また、鏡は太陽の光を反射するので、太陽と鏡は深く結びついていた(太陽は円形に輝く天体であり、地上において円形に輝くものの代表が鏡であったこととも由来していると考えられる。太陽の異称に「紅鏡(こうきょう)」ということばもある)。『古語拾遺』には、天の岩屋戸に用いられた「鏡」が、天照大神の姿を象ったものだと記されている。このとき最初に作られた「日の像(みかた)の鏡」は神々があまり気に入らなかったので、それは日前神社(和歌山県)の御神体とされ(紀伊の日前神)、次に作られた鏡が「伊勢大神」(伊勢神宮の御神体である八咫鏡と考えられる)となったという。
 『日本書紀』に記載されている別伝では、アマテラスが「白銅鏡」から生じたという伝もある。なお、奈良時代には銅と白鑞(錫)の合金を白銅と呼んでいた。
 「鏡」ということばについて、中西進『ひらがなでよめばわかる日本語のふしぎ』(小学館、2003年)に、「かがやく」などと同源ではないかとする考えが載せられている。「かがやく」とは光が明滅することで、「かがやく」の「かが」は「かげ」や「かぎろひ」などと同じではないかともいう。 完璧な美を備えるかぐや姫の「かぐ」の語源も、「かがやく」などと同じとされる。

八尺瓊勾玉

 アマテラスが天の岩屋戸にこもったとき、タマノオヤノミコトが作ったとされるのが、この勾玉とされる。正確には「八尺の勾玉の五百津の御須麻流の珠」(『古事記』)で、ここでは勾玉を中心に色々な管玉・丸玉を連ねた首輪のことを指す。
 こちらは宮中にあるが、神璽と呼ばれる箱に納められ、歴代天皇も見ることがかなわないという。

天叢雲剣

 名称については、『日本書紀』第七段に「蓋大蛇所居之上常有雲氣故以名歟」とある(「天叢雲剣」の「天」は尊称)。土着の神であったと考えられるヤマタノヲロチの尾から出た剣はアマテラスに献上され、天孫降臨やヤマトタケルの東征など、土着民を征服するときに用いられた。そこから、この剣は朝廷の武力の象徴であるととらえられている。
 この剣は、江戸時代に熱田神宮の宮司が見たという伝が残されており(『玉籤集』)、それによれば長さ2尺7~8寸(約80センチ)、白銅製の剣であったという。
 ちなみに別名である「草薙剣」については、沖縄で青大将のことをオーナギ・オーナガ・オーナギリなどということから、ナギは本州においても古くは蛇を意味したのではないかという。クサはクソと同根で、獰猛・勇猛などの意。よってクサナギとは古くは「獰猛な蛇から出た剣」であったと解される。
 記紀ではヤマトタケルが東征の際に草を薙ぎ払ったことから「草薙剣」の名がついたとされるが、本来の意味は「獰猛な蛇から出た剣」であり、その名称から草を薙ぎ払って火から身を守るという伝説がついたのではないかという説もある(佐竹昭広説)。ちなみに、「都牟刈太刀(つむがりのたち)」など多数の別名がある。また、この剣は、平家滅亡のさいに失われたともいう。