研究のきっかけ

 研究のきっかけとなったのは、「三貴子誕生」の調査を行ったことである。
 アマテラスは、『古事記』では「天照大御神」、『日本書紀』では「天照大神」と記されている。さらに「オホヒルメノムチ」、「ヒルメノミコト」などの神名表記も見られる。
 調べてみると、どうやらヒルメというのは「天照大神」の古い呼び名であったようだ。ヒルメという神名に関して、「ヒルメという土着の太陽神が、皇祖神化して天照大御神となった」という説(西條勉「〈皇祖神=天照大神〉の誕生と伊勢神宮―古事記の石屋戸・降臨神話の編成―」(『国士舘大学国文学論輯』一五号)、寺川真知夫「天照大御神・高御産巣日神司令型天孫降臨神話の成立 その即位式・新嘗祭・大嘗祭とのかかわり」(『花園大学国文学論究』一四号)など)を見つけ、疑問に思ったのが始まりだった。
 記・紀神話は宮廷神話というその性質上、大和朝廷の侵略の正当化が多いといわれている。アマテラス(神名表記が複数あるため、カタカナで記す。以下同)の弟に、大和朝廷が服属させた出雲地方の神・須佐之男命(以下、スサノヲと記す)がいることなどが、その最たるものである。
 つまり、ヒルメ→アマテラスという神名変化にも、恐らく何らかの政治的必然性があったということになる。そこで当初は、「ヒルメ→アマテラス」というその名称の変化を主眼として論文を書こうとした。だが、そこにきて避けては通れぬ問題が現れた。「皇祖神」という問題である。
 皇祖とは、天皇家の祖先、とりわけアマテラスや神武天皇(記・紀伝承上の天皇で、初代天皇とされる)を意味する。そのため、「皇祖神」とは天皇家の祖先である神々を指すことになるが、「皇祖神」として位置付けられるのは通常 このアマテラスである。家系のうえでは、アマテラスの孫に火瓊瓊杵尊(ホノニニギノミコト。以下、ニニギノミコトを記す)という神がおり、その曾孫が神武天皇とされている。
 しかし、調査を始めてすぐに分かったのだが、国文学(日本文学)分野では「アマテラス以前に、アマテラスではない神が皇祖神という地位にあった」というのが定説になっていたのである。
 結局、アマテラスだけでなく、かつての皇祖神であったとされる高御産巣日神(たかみむすひのかみ。以下、タカミムスヒと記す)も含めた「皇祖神」について考察することになった。

アマテラスについて

 アマテラスは、三重県伊勢市にある伊勢神宮(正式には「神宮」という)内宮に祀られている神で、記・紀神話においては最高神として位置づけられている。
 アマテラスに関する神話でよく知られるものには「天の石屋戸神話」がある。これは、アマテラスが天の石屋戸にこもってしまったことにより世界が暗黒に包まれたため、神々がアマテラスを天の石屋戸から出す相談をし、天鈿女命(あめのうずめのみこと。猿女君の遠祖とされる)が舞い、手力雄神(たぢからおのかみ。長野県戸隠神社の主祭神)が天の石屋戸からアマテラスを引っ張り出したという神話である。
 アマテラスが天の石屋戸にこもってしまったことにより世界が暗黒に包まれたというこの神話は、アマテラスが「太陽神」であることを最もよく示すものである。他にも、アマテラスの弟に月読命(つくよみのみこと。月の神格化)がいること、アマテラスの別名(というより、恐らくはアマテラスの原始的名称であったと考えられる神名)が「オホヒルメノムチ(おおひるめのむち)」または「ヒルメノミコト」であることなどから(ヒルメ=「日女」)、アマテラスは太陽神として位置づけられている。
 古くから農業を主要な産業としていた日本において、太陽の神格化であるアマテラスが最高神として祀られることは不思議なことではない。しかし、後述するが、記・紀神話におけるこのアマテラスは、記・紀の性質上、「太陽神」というよりも「皇祖神」としての側面の方が、強く打ち出されている神なのである。

 ※ ヒルメのヒを「霊」と見なし、アマテラスが本来は太陽神ではなかったとする見解もある(角林文雄『アマテラスの原風景 原始日本の呪術と信仰』塙書房)が、少なくとも記・紀ではアマテラスは太陽神として描かれており、この論文では記・紀を中心としたアマテラスについて論じているので、アマテラスは太陽神(かつ皇祖神)である、という立場で以後論を展開する。 

タカミムスヒについて

 先に、皇祖神として位置付けられるのが通常はアマテラスであると述べたが、国文学(日本文学)の分野では、タカミムスヒがかつては皇祖神であった、という説が既に定説となっている
 アマテラスは日本人であれば誰もが知っている神であろうが、タカミムスヒについてはあまり知られていない。一体、タカミムスヒとはどのような神か。
 簡単に紹介すると、タカミムスヒは「生成の神」あるいは「生成力の神格化」とされる。『古事記』では神話の冒頭(天地初発条)に登場するが、これもタカミムスヒが生成力の神格化、すなわち創成にあたった存在と見なされていたためであろう。『古事記』では冒頭に登場するが、『日本書紀』では天地初発条に登場しない伝もあるので、この神は後期的に作り上げられた神であると考えられている。
 タカミムスヒには多くの御子神がいるが、そのうちの一柱の神がアマテラスの子・天忍穂耳(あめのおしほみみ)と結婚し、天孫・ニニギノミコトを生んだとされている。つまり、タカミムスヒは、天孫の外祖父ということになる。
 天孫と血縁関係にあるというだけでなく、タカミムスヒは天地初発条から登場する特別な神として、天孫降臨や神武東征といった記・紀上の主要な事柄に、アマテラスと並んで関わってくる。『日本書紀』には、タカミムスヒが単独で天孫降臨を指導した伝が複数あるが、アマテラスが主導した天孫降臨神話より、タカミムスヒ主導の天孫降臨神話の方が数が多い。
 天孫降臨神話の伝承の数以外にも理由があるが、「天孫降臨に関わるのは、古くはアマテラスではなくタカミムスヒであった」というのが、「かつてはタカミムスヒが皇祖神であった」とする論の根拠の最たるものである。

宮廷神話におけるアマテラス

 『古事記』『日本書紀』は宮廷神話として位置付けられているので、その内容や神々の成立も、複雑なものが多い。
 アマテラスは、古くはオホヒルメノムチ、ヒルメノミコトなどという名前だった。ヒルメに関しては諸説あり、「ヒルメ=日る妻」と解して、本来の太陽神であったタカミムスヒに仕える巫女であったとする「巫女昇格説」(折口信夫が提唱)が支持を得ているが、その他にも、伊勢地方の土着太陽神であったとする説(松前健「鎮魂祭の原像と形成」(『日本祭祀研究集成』一、平凡社))などがある。
 太陽は農耕民族にとって大きな恵みをもたらすものであるから、日本では古くから信仰の対象とされてきた。各地で日神崇拝の痕跡が見られるが、大和朝廷が日本を統一し、各地の神話を融合していく過程で、各地で崇拝されていた複数の太陽神をも融合して、「天照大神」という最高神が生まれたと考えられている。
 「天照大神」という神の特徴はいくつかあるが、一つはその名称である。弟であり月の神格化であるツクヨミとは異なり、「太陽」を直接的に意味する名称ではない。「太陽」を直接意味するのはむしろ古名の「ヒルメ」の方である。アマテラスの名称は、その核が「大(御)神(おおみかみ)」すなわち「偉大な神」で、抽象的、概念的といえる名称である。ゆえに、「天照大神」は、ヒルメが皇祖神化した際の呼び名であるという説もある。
 他にも、アマテラスが活躍する神話には特徴が見られる。アマテラスが主に活躍する神話は、「三貴子(アマテラス、ツクヨミ、スサノヲ)誕生」、「ウケヒ」、「天の石屋戸」(「ウケヒ」と「天の石屋戸」は一続きの神話である)、「天孫降臨」、「神武東征」などだが、「天の石屋戸」神話を除いた神話には矛盾点や食い違いが見られる。
 「天孫降臨」「神武東征」はもともとはアマテラスではなくタカミムスヒが主導する神話であったと考えられているし、「三貴子誕生」では、アマテラスを含めた三貴子の誕生方法が記・紀間で異なり、「ウケヒ」(スサノヲの心の清明を証明するため、アマテラスとスサノヲが各々の持ち物を交換し、そこから生まれた子どもの性別で正邪を決める)では持ち物から「男が生まれれば正、女が生まれれば邪」とする伝と「女が生まれれば正、男が生まれれば邪」とする伝が存在する。さらにいえば、この「ウケヒ」によってアマテラスの「持ち物」から生まれたのがアメノオシホミミ(天孫の父)であり、それに従えばアマテラスとアメノオシホミミの間に血縁関係は存在しないのである。また、アメノオシホミミがスサノヲの子どもであると見なしうる伝も存在する
 アマテラスは、その誕生や、天孫との関係性に曖昧さが見られる。このことが、アマテラスが皇祖神となったのは後期的なものであること――「天照大神」という神自体が、宮廷神話の主神となるべく、何らかの理由・必要性があって後に生み出されたのだと考えられる理由なのである。

何故、「天照大神」が皇祖神となったのか?

 「天照大神」が皇祖神となった理由・必要性については、タカミムスヒがアマテラス以前の皇祖神であったとする研究論文でともに論議されているが、未だにその明確な答えというものは出ていないようである。
 皇祖神に関する問題には当時の政治状況などにも言及しなければならない。少しずつ史料・資料を読み、自分なりに何らかの解答、とまではいかなくとも、方向性のようなものを打ち出したいと思いながら、現在も考察中である。
 以前読んだ本に、「日本の天皇は、武力によらずその政権を維持している」というようなことが書かれてあった。壬申の乱、承久の乱、(ある意味では)間接的ではあるが戊辰戦争などを顧みれば、その見解を必ずしも全て肯定するわけにはいかないけれども、それこそ上代の昔から、皇室は尊崇される存在として日本の中枢にあり続けた。生まれながらにして高天原の主神であるアマテラスは、争いを好まず(スサノヲの暴虐にも、天の石屋戸にこもるなど争いを避ける。一方で、高天原侵略の危機に対しては武装して立ち向かおうとした)、また争いによらずその最高神たるを確立した神である。
 アマテラスのその姿には、記・紀編纂者あるいは編纂命令者の、統治者の理想の姿が投影されているのではないだろうか。
 あるいはそれが、アマテラスが皇祖神たる所以の一つといえるのではないだろうか。

凡例

 ※ 天照大神は「天照大御神」、高御産巣日神は「高皇産霊命」など、伝によって神名表記に違いが見られるので、「アマテラス」「タカミムスヒ」などと表記している。その他の神に関しても、基本的に片仮名表記とする。
 伊耶那岐命は、「イザナノミコト」と呼ばれるのが一般的のようであるが、「イザナノミコト」と表記する。
 ※ 『古事記』は「記」、『日本書紀』は「紀」と略す。「紀本文」とある場合には『日本書紀』本文であり、「紀第○の一書」とある場合は、『日本書紀』の異伝を指す。
 ※ 引用部は、短いものは鉤括弧で、長いものは枠で囲む。
 ※ テキストとして主に用いたものは、以下の通り。

 古事記:西宮一民『新潮日本古典集成 古事記』(新潮社)
 風土記:植垣節也『新編日本古典文学全集5 風土記』(小学館)
 日本書紀:坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋『日本書紀(一)~(四)』(岩波書店)
 祝詞:倉野憲司・武田祐吉『日本古典文学大系1 古事記祝詞』(岩波書店)
 古語拾遺:西宮一民『古語拾遺』(岩波書店)