上代文学の概説

上代とは

 上代とは、日本史、特に文学史の時代区分で、一般に奈良時代及びその前後を含めた時期を指す(さらに言えば、桓武天皇による平安遷都の794年までを指す)。
 推古天皇の時代より以前は伝誦文学(『古事記』『日本書紀』『風土記』などの神話・伝説・歌謡)、それより後を記載文学(『万葉集』など)として分類することがある。
 国学が隆盛となった江戸時代、国学者・本居宣長(1730―1801)が『古事記』の注釈書である『古事記伝』を著し、これは現在でも『古事記』研究に必携の書となっている。

上代文学研究の対象となる作品

[万葉集]
 全20巻。現存する日本最古の歌集。全巻の完成は奈良後半頃とされる。
[古事記]
 全3巻(上中下巻)。712年撰録。解説は後述。
[日本書紀]
 全20巻。ただし、文学研究の対象となるのは主に神話を取り扱った神代巻(巻1~2)及び歌謡。
[風土記]
 常陸・播磨・出雲・豊後・肥前の風土記が五風土記と呼ばれる。713年に詔が出され、完全な形で残っているのは『出雲国風土記』のみ。逸文(『風土記』の一部分)が残るほか、『日本書紀』などにも引用された形で一部残る。
[懐風藻]
 奈良中期(751年?)に完成した漢詩集。撰者は淡海三船ともいわれるが、未詳。
[祝詞(のりと)]
 『延喜式』巻8に残る。神道の祭典のとき、神に奏上することばのこと。
[宣命(せんみょう)]
 『続日本紀』に掲載される宣命(文武天皇即位)が現存最古。天皇の命令を伝える文書。漢文体のものが詔勅、国語を用いたものが宣命。
[古語拾遺]
 朝廷祭祀を司る忌部(斎部)氏出身の斎部広成が著した歴史書。大化改新後、勢いの振るわなかった斎部氏の隆盛を図ることを目的として書かれたもので、天地開闢~天平年間までの斎部氏の功業を記している。正史に漏れた記事も多く含む。
[日本霊異記]
 平安初期成立の仏教説話集。

資料または史料

 歴史書:日本書紀 続日本紀 文書類:金石文 木簡 正倉院文書 漆紙文書
 法律:律令 延喜式
 氏族 新撰姓氏録
 古辞書:新撰字鏡 和名類聚抄 類聚名義抄

古事記・日本書紀の概要

『古事記』

 天武天皇の企画に基づき、太安万侶が撰録した日本最古の歴史書
 序文によれば、天武天皇が『帝皇日継(※)』・『先代旧辞(※)』の誤り・乱れを正すため、稗田阿礼に命じて『帝皇日継』と『先代旧辞』を誦習させたが未完に終わり、その後元明天皇が太安万侶に命じて稗田阿礼の口誦を撰録させて完成させたという。
 内容は、天地開闢に始まる神話時代から、推古天皇の記事までを含み、天皇家を中心とする国家統一の思想で貫かれる。

 ※…『帝皇日継』(『帝紀』とも)は天皇や皇位継承を中心とした古代の伝承・史書。『先代旧辞』(『上古諸事』『旧辞』とも)は神話、歴代天皇時代の伝説・伝承・歌謡などの書。異本が数多く存在した(=このことが『古事記』編纂のきっかけとなった)が現在は失われ、『古事記』中に断片が見られるのみ。

『日本書紀』

 日本最古の勅撰(※)歴史書で、『六国史(りっこくし)』(※)の筆頭。天武天皇の第三皇子舎人親王が太安万侶らと編纂。720年成立。外国との関係を踏まえての国家意識の高まりが、成立のきっかけとなったといわれている。
 『帝皇日継』・『先代旧辞』のほか、『漢書』『後漢書』『淮南子(えなんじ)』や縁起などを資料としたとされる。

 ※…勅撰とは、勅命(天皇の命令)によって編纂された詩や文章のこと。因みに、平安時代の『古今和歌集』は最初の勅撰和歌集である(『万葉集』は勅撰ではない)。
 ※…『六国史』とは勅撰の六つの国史のことで、『日本書紀』『続日本紀(しょくにほんぎ)』『日本後紀(にほんこうき)』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』の六つを指す。

記・紀(=『古事記』と『日本書紀』)の相違点

 『古事記』と『日本書紀』。ともに歴史書として位置づけられるが、『古事記』が国内の思想統一を図ろうとしたものと位置付けられるのに対して、『日本書紀』は対外的な視点をも含めた歴史書として位置付けられている。文学研究の対象とされるのは主に神話の時代(=神代)の事柄であるが、神話も政治色が色濃く、記・紀神話は「宮廷神話」として位置付けられる。
 内容は記・紀共通したものを含むが、『古事記』の話の流れが一本となっているのに対し、『日本書紀』は異伝を多く載せている。たとえば、アマテラスツクヨミスサノヲの所謂「三貴子」は、『古事記』ではイザナキの目と鼻からそれぞれ産まれているが、『日本書紀』ではイザナキ・イザナミという二神から産まれた神とする伝と、『古事記』と同じ産まれ方をした伝とが存在する。一つの話に異なる伝承がいくつかある場合、それらを「一書に曰く……」といった形で並べて記載しているのが、『古事記』とは異なる『日本書紀』の特徴である。
 『日本書紀』は『古事記』にも記載がない伝を「異伝」として載せているが、『古事記』では『日本書紀』にはほとんど記載が見られないオホクニヌシの物語が描かれている。オホクニヌシ出雲神話(主に『出雲国風土記』に記述が見られる、出雲地方の神話)の主神であり、アマテラスの弟・スサノヲの子孫に当たる。そして、「国譲り」において国の統治権をアマテラスの孫・ホノニニギに譲る神として描かれている。
 内容の若干の相違の他に、記述法の違いも存在する。『古事記』は「ふることぶみ」とも読むことができ、当時のやまとことばが多く用いられている。例えば、イザナキイザナミ二神が国土を修理固成する際の、「塩許々袁々呂々迩……」という表現などは、昔のやまとことば独特の言い回しであろう。「音を用いる」と注意書きしてある点など、多くがやまとことばを活かしたいという編者の意向に基づくものと考えられる。
 一方で、『日本書紀』は漢文に近い記述方法を採っている。これは一説によれば『日本書紀』はもとは『日本書』、つまり中国における『漢書』や『宋書』に対応するような、日本の正史を記録した書として、外国(当時、日本にとっての外国は中国である)に示せるものとして編纂されたためという。
 そして『日本書紀』の「紀」は、『日本書紀』が編年体(年月の順を追って事柄を記す方法。その逆の記述方法は「紀年体」といい、こちらは帝王一代の年譜である本紀、民族や個人の伝記である列伝などに分類して事柄を記す方法)で書かれていることに由来しているといわれる。中国では帝王の治世を編年体にしたものを『漢紀』『後漢紀』のように「紀」と呼んでおり、同じように『日本書紀』は編年体で書かれた日本書(日本の正史)であるから『日本書紀』、と名づけられたという。そして、『漢書』や『宋書』に対応するような正史ということは、外国(中国)にも認められるように漢文体で書かねばならないということになる。『古事記』がやまとことばを駆使しているのに対し、『日本書紀』が漢文体を用いているのは、そこに理由があるものと考えられている。

内容の概略

 記・紀の内容は、大きく分けて「神代」「人代」とに分けられる。『古事記』上巻と『日本書紀』一~二巻は「神代」、すなわち神話の時代を取り扱っている。それ以降は初代神武天皇に始まる皇室関係の記述が主となっている。
 この神話の時代も世代交替があり、大きく三つに区分できる。
 すなわち、

◎造化三神の時代
◎神世七代の時代
◎三貴子の時代

の三区分である。
 前述の通り、『日本書紀』は複数の伝を記載しており、登場する神も伝によって違いが見られるので、『古事記』の記述を採用して、この三つの時代区分を簡単に述べる。

造化三神の時代

 造化三神とは、天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神の三神を指す(「造化三神」という呼称は、便宜的に用いられるもので、『古事記』中に記載はない)。
 『古事記』には、

 天地初発之時於高天原成神名天之御中主神高御産巣日神神御産巣日神
 此三柱神者並獨神成坐而隠身也
 次國稚如浮脂而久羅下那州多陀用弊流之時如葦牙因萌騰之物而成神名宇摩志阿斯阿斯訶備比古遅神天之常立神
 此二柱神亦獨神成坐而隠身也
 上件五柱神者別天神

 とある。赤字が神名で、アメノミナカヌシ・タカミムスヒ・カミムスヒの三神は一般に「造化三神」と呼ばれる。そして、この三神にウマシアシカビヒコジ・アメノトコタチを加えた五神は「別天神(ことあまつかみ)」と呼ばれ、天神(あまつかみ。高天原の神々)の中でも特別な神とされている。この五神は「獨神(ひとりがみ)」(男女二神一組の対偶神と対照的な概念で、性別のない神・単独で誕生した神)であり、「隠身(身を隠した)」神々である。
 因みに、『日本書紀』に記される天地初発条には七種類の異伝があるが、アメノミナカヌシ・タカミムスヒ・カミムスヒの登場する伝は一つで、第四の一書のみである。

神世七代の時代

 次成神名国之常立神豊雲野神
 此二柱神亦獨神成坐而隠身也
 次成神名宇比地迩神次妹スヒヂニノ神角杙神次妹活杙神意富斗能地神次妹大斗乃弁神於母陀流神次妹阿夜訶志古泥神伊耶那岐神次妹伊耶那美神
 上件自国之常立神以下伊耶那美神以前并称神世七代

 ウヒヂニ―スヒヂニ、ツノグヒ―イクグヒ、オホトノヂ―オホトノベ、オモダル―アヤカシコネ、イザナキ―イザナミという男女一組の神、すなわち「対偶神」がここで誕生している。クニノトコタチからイザナミまでの神々を総称して「神世七代」と呼ぶ。数え方は、クニノトコタチ・トヨクモはそれぞれ「一」と数えられ、対偶神は二神一組で「一」と数えられる。
 男女二神一組の神々と獨神を混合して「七代」とする数え方も奇妙であるが、これに関する見解は「日本神話における皇祖神」中で述べる。
 ウヒヂニ―スヒヂニ~イザナキ―イザナミまでの流れは、「人の成り立ち」と関わりがあるという。ウヒヂニとスヒヂニはそれぞれ泥と砂の神格化。ツノグヒとイクグヒは、ツノは芽生える、イクは生命力を示し、クヒは杙の意と考えられる。オホトヂノとオホトノベは、居所の神格化と考えられていたが、別の説ではトをホトやミトなど性器を指す「ト」と考え、それぞれ男女の別を示した神とされる。オモダルは「面足」で、容貌が完備されたことの神格化、アヤカシコネについては「人間の意識の発生」あるいは「女性が男性に対して抱く感情の一つ(=カシコ)」の神格化とされる。泥土のようなものであったのが、徐々に進化し、男女の別を見せていき、最終的にイザナキ・イザナミという、生殖によって国や神を生む対偶神が生まれたのだとされる。
 神名の由来に関しては諸説あるが、イザナキとイザナミは「イザ(誘う)」+に接辞「ナ」にキ(男性を示す)とミ(女性を示す)をそれぞれ付した神名構成と考えられている。お互いに誘い合って交わり、国土と神々を生んだことに由来する神名である。
 最後にイザナミは火の神カグツチを生み、大火傷を負って亡くなってしまう。嘆き悲しむイザナキは、イザナミを連れ戻すために黄泉国を訪れるが、イザナミは既に黄泉の国の食べ物を食べてしまい(=黄泉戸喫/ヨモツヘグヒ)、黄泉の国の住民となってしまっていた。
 イザナミは、寝休むので自分の顔を見ないで欲しいとイザナキに言うが、イザナキはその約束を忘れ、黄泉の国の住人となったイザナミの顔を見てしまう。イザナミの姿は、「宇士(=蛆。うじ)多加礼許呂々岐弖於頭者大雷居胸者火雷居於腹者黒雷居……并八雷神成居」という状態だった。
 イザナミの、死者そのものの姿に恐れをなしたイザナキが逃げようとすると、イザナミは「令見辱吾(私に恥をかかせた)」と言って怒り、イザナキの後を追いかけてくる。最終的にイザナミの追っ手から逃れたイザナキは、黄泉の国へ行ったことによる汚れを落とすため、竺紫日向橘小門阿波岐原で「禊ぎ」をする。
 イザナキが禊ぎをして身体を清めたところ、左目から天照大御神(以下アマテラスと記述)、右目から月読命(以下ツクヨミと記述)、そして鼻の穴から建速須佐之男命(以下スサノヲと記述)が生まれる。

三貴子の時代

 イザナキの目と鼻から(紀ではイザナキ・イザナミから生まれたとする伝もある)生まれた三柱の神は、イザナキが「吾者子々生而於生終得三貴子(私は多くの子を生み、最後に、とりわけ素晴らしい三柱の子を得た)」と評した神々で、イザナキ(とイザナミ)の生んだ数多の神々の中でも、特別な神々である。そこでその三柱の神 アマテラスツクヨミスサノヲは、それぞれ高天原・夜之食国・海原(統治する地域に関しても、伝によって違いがある)の統治を命じられる。
 このあとには、スサノヲが母イザナミのいる根之堅州国に行く暇乞いのためアマテラスのもとを訪れ、スサノヲの訪問を「欲奪我国耳(私の統治する高天原を奪いに来たのか)」と疑うアマテラスに心の清明を証明する「ウケヒ」を行うくだりや、自らの心の清明を証明でき、喜ぶあまり増長するスサノヲに憤慨したアマテラスが岩屋にこもり、世界が暗黒に包まれてしまう「天石屋戸」などがある。
 三貴子の時代において、主となって活躍するのはアマテラスとスサノヲである。アマテラスはいうまでもなく高天原の最高神・皇祖神であり、スサノヲは「天石屋戸」条の罪を問われて高天原から追放され、出雲に降り立ち、出雲の有力な神となる。

天孫ホノニニギの時代

 アマテラスとスサノヲの「ウケヒ」の際、アマテラスとスサノヲはお互いの持ち物を交換し、その持ち物から生まれた神の性別によってスサノヲの心の正邪を問うた。
 その際に生まれた正勝吾勝々日天忍穂耳(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみ。以下アメノオシホミミと記述)がアマテラスの子であり、豊葦原之千秋長五百秋之水穂國の統治者として水穂國に下ろされることになる。しかし水穂國は荒れて騒がしいので、アマテラスとタカミムスヒが多くの神々を集めて意見を出させ、アメノオシホミミの先払いとして神々を水穂國に派遣する。
 何度かの失敗を経て、スサノヲの子孫である大国主神とその子神は、アマテラスの子・アメノオシホミミを水穂國統治者として認める。そこでアメノオシホミミを水穂國に降臨させようとしたところ、アメノオシホミミに子どもができたので、結局アメノオシホミミの子(アマテラスの孫に当たる)・天津日高日子番能迩々藝命(あまつひこひこほのににぎのみこと。以下ホノニニギと記述)が水穂國の統治者として降臨することになる。
 「天孫」とはホノニニギのことであり、「天孫降臨」とは、アマテラスの孫であるホノニニギが、水穂國統治のため地上に降り立ったことを意味する。

ホホデミとウガヤフキアヘズ

 地上に降り立ったホノニニギは、山津神の娘であるコノハナノサクヤビメと結婚する。この際、山津神はコノハナノサクヤビメの姉・イワナガヒメもホノニニギと結婚させようとするが、イワナガヒメの外見を好まなかったホノニニギはこれを拒否する。そこでこれ以後、人の寿命は桜の花のように儚いものとなった(コノハナノサクヤビメは桜の花の神格化、イワナガヒメは石の神格化。ホノニニギがイワナガヒメとも結婚していれば、ホノニニギの子孫は花のごとく栄え、その寿命は石のように長くなるはずだった)。ホノニニギと、山の神の娘であるコノハナノサクヤビメの結婚は、天孫が山を自分の統治下に置いたことを意味すると考えられる。
 コノハナノサクヤビメは一夜で身ごもり、子どもを生んだ。そのうち二人が海幸彦と山幸彦(=天津日高日子火々出見命/ホホデミ)である。
 ホノニニギとコノハナノサクヤビメの子である海幸彦と山幸彦(=ホホデミ)は、ある時 お互いの猟具を交換する。しかし、獲物が全く獲れなかったばかりでなく、山幸彦は海幸彦の鉤をなくしてしまう。
 なくした鉤を探し求めて赴いた海の国で、山幸彦は海神の娘・トヨタマビメと出会う。山幸彦(天津日高日子火々出見命)が尊い天神の子だと知った海神は山幸彦をもてなし、山幸彦とトヨタマビメは結婚することになる。天神、最高神アマテラスの孫である山幸彦が海神の娘と結婚することで、アマテラスの家系は、山に続き海をも統治下に置いたということになる。
 その後、山幸彦ことホホデミとトヨタマビメの間に出来たウガヤフキアヘズと、トヨタマビメの妹(ウガヤフキアヘズの叔母に当たる)・タマヨリビメとの間に子どもが生まれる。そのうちの一人が後に神武天皇となるカムヤマトイハレビコである。

記・紀の特徴

 [記・紀の相違点]でも述べたように、記・紀神話は宮廷神話として位置付けられており、その内容は政治性を多分に含んでいる。
 例えば、アマテラスとスサノヲの関係性。記・紀神話ではアマテラスとスサノヲは姉弟であるが、本来はそれぞれ異なる神話系統に属する神であったという見解が一般的である。
 スサノヲはもともと「出雲神話」において主要な神として描かれている。スサノヲの「スサ」について、「荒れすさぶ」などの「すさ」からとられたとする説の他に、出雲の地名「須佐」からとられたという説がある(『古事記』には、この須佐の地は、スサノヲが鎮座したため須佐と名づけられた、と記されている)。つまり、宮廷に祭祀される最高神アマテラスと、出雲の主神スサノヲとを姉弟の関係とすることによって、宮廷が出雲地方を服属させたことを正当化しているものと考えられる。この手法は、アマテラスとスサノヲの姉弟関係だけでなく、山幸彦・海幸彦の兄弟関係にも見られる(山幸彦は後の神武天皇の祖父、海幸彦は隼人の祖であるという記述がある。隼人は南九州にあった勢力で、大和朝廷に反抗していたが後に帰順した)。
 記・紀はその中心に皇祖神アマテラスを置いている。それゆえ、神々の関係はアマテラス(皇室)を中心に展開されている。例えば、日本の島々は、イザナキ・イザナミ二神が生んだものである。イザナキ・イザナミはアマテラスの親でもあるから、最高神アマテラスと日本という国は親を同じくする兄弟となり、アマテラスの子孫が国を統治するのは、妥当性があるということになる。

参考

 『広辞苑 第五版』(岩波書店)、『百科事典マイペディア』(日立システムアンドサービス)