神名の最後には、「~ノミコト」という尊称がつけられる。これは、神のほか、貴人にも用いた尊称である。
ミコトの表記には、「命」と「尊」の二種類がある。この二種類に関しては、『日本書紀』に「至貴曰尊 自餘曰命」とある。
確かに、タカミムスヒのほか、イザナキ・イザナミや、ツクヨミ・スサノヲにつくミコトには、「尊」の字を用いている。高天原の最高指導者ともいえるタカミムスヒ、三貴子の両親である岐美二神や三貴子は、「至貴」であるからミコトは「尊」の字を用いるという方針である。
他に、「~ノムチ」という尊称もある。これは恐らく「ミコト」に二種類の使い分けを採用する以前の尊称で、『釈日本紀』第十六巻には「蓋古者、謂尊貴者、為武智歟。自余諸神、或謂之尊、或謂之命。今天照大神、是諸神之最貴也、故云武智。」とある。「~ノムチ」という神名は、出雲神話の主神であるオホアナムチ(オホクニヌシ)と、アマテラスの旧名であるオホヒルメノムチ以外にはほとんど例を見ない尊称であり、「蓋古者、謂尊貴者、為武智歟」と解釈されているのも頷ける。
尊称ではないが、神名につくものには他に「~神」がある。神代紀では基本的に、「神」は宗教的対象に用いられているとする解釈もある。『古事記』では、黄泉国へ行って戻ってきたイザナキの名称が「伊耶那岐大神」に変化し、イザナミの名称も「黄泉津大神」となっている。イザナキは黄泉から逃げ帰り、禊ぎをして三貴子を生んだ。イザナミは死して黄泉の国の女神となった。そのことと神名の変化とに、何か関わりがあるのかも知れない。
『広辞苑』第五版(岩波書店)、『百科事典マイペディア』(日立システムアンドサービス)、坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋『日本書紀(二)』岩波書店、倉野憲司・武田祐吉『日本古典文学大系1 古事記祝詞』岩波書店、角林文雄『アマテラスの原風景 原始日本の呪術と信仰』(塙書房)、財団法人神道大系編纂会『神道大系古典註釈編五 釈日本紀』(神道大系編纂会)