記・紀に見る結婚

最初の結婚

 記・紀神話において最初の夫婦となったのは、対偶神イザナキ・イザナミである。
 『古事記』では、天神に「修理固成是多陀用弊流之國」と命じられたイザナキ・イザナミは、淤能碁呂嶋を造り、その島に降り立った。

 於其嶋天降坐而見天之御柱見立八尋殿
 於是問其妹伊耶那美命曰汝身者如何成答白吾身成々不成合處在
 伊耶那岐命詔吾身者成々而成餘處一處在故以此吾身成餘處刺塞汝身不成合處而以為生成国土生奈何
 伊耶那美命答曰然善

 下線部がイザナキ・イザナミの発言部分。
 イザナキはまずイザナミに、「あなたの体はどのように成っているのか」と尋ねる。イザナミは、「私の体は、段々成っていって、成り合わないところがあります」と答える。
 イザナキは、「私の体は段々成っていって、成り余ってしまった所が一箇所ある。そこで、私の体の成り余ってしまった所で、あなたの体の成り合わない所を刺し塞いで国土を生もうと思うが、どうか」と尋ねる。イザナミの答えは「然善」、つまり「それがよいでしょう」。
 この後、イザナキとイザナミは天之御柱を回って会い、声をかけ合った後、結婚する。
 性交のことは「ミトノマグハヒ」という。トは甲類のトで(※)、語源は戸や門(と)と同じ、狭い通行点や通過点を指す。即ち、ミトとは男性・女性をそれぞれ象徴する器官を意味する。「マグハヒ」とはもともとは「目合ひ」で、目を見合わせて愛情を交わすことをいい、そこから性的な交わりをも指すようになった。

 ※「上代特殊仮名遣い」と呼ばれるもので、上代には「き・ひ・み・け・へ・め・こ・そ・と・の・も・よ・ろ」(濁音も含む)は現在と異なり音が二種類あったとされ、便宜的に甲類と乙類に分類される。万葉仮名における書き分けに明確な違いが見られる(例えば、甲類「コ」には古・故・孤がある。「恋し」のコは甲類で、「非之奈婆(こひしなば)」などと表す。乙類「コ」には許・己がある。「この(此の)」のコは乙類で、「能暮影尓(このゆふかげに)」などと表す)。上代特殊仮名遣いではないが、現在の「づ」「ず」及び「じ」「ぢ」も、発音は同じだが異なる表記がされていることから、古くは発音も異なっていたと考えられている。

求婚

 記・紀神話には、貴人の求婚についても描写がある。
 天孫ホノニニギが地上に降り立ち、美しい女性(=コノハナノサクヤビメ)を見初め声をかけたのだが、その時の呼びかけは以下のようなものであった。

 於是天津日高日子番能迩々藝能命於笠沙御前遇麗美人
 問誰女……

 名を問うという行為は、古代においては求婚と同義である。これも一種の言霊信仰で、本名が呪術的な意味合いを持っていたことと関係があるだろう(実名敬避の考えは、近世まで存在していた)。
 『万葉集』雄略天皇の歌とされるものに、「籠もよ み籠持ち 掘串もよ み掘串持ち この岡に 菜摘ます児 家告らせ 名告らさね そらみつ大和の国は おしなべて われこそ居れ しきなべて われこそ座せ われこそは 告らめ 家をも名をも」がある。「児」は子どもの他、男から愛する女性に語りかける呼び方で、ここでは若い娘に対して用いられている。この歌に描かれているのは、菜を摘む若い娘に、雄略天皇が家と名とを尋ね、求婚をしている様子である。余談であるが、古くは女性の名前は、親や夫しか知らないものであった。平安時代に「藤原道綱母」(『蜻蛉日記』作者)や「菅原孝標女」(『更級日記』作者)などの女流作家がいるが、本名が不明なので、「誰々の母」「誰々の女(娘)」として表しているのである。紫式部、清少納言なども本名ではない(紫式部は『源氏物語』の女主人公・紫の上に因んだ呼び名。清少納言は本姓が「清原」であったことから)。
 名を尋ねたホノニニギに対してコノハナノサクヤビメは、自分の素姓と名を名乗る。これは結婚の承諾とほぼ同義である。
 ホノニニギの他に、女性に求婚した例として、スサノヲが挙げられる。
 『古事記』では、高天原から追放されたスサノヲは、出雲に辿り着く。そこでヤマタノヲロチに捧げられようとしているクシナダヒメと、その両親に出会い、クシナダヒメを自分の妻にするつもりはないかと、クシナダヒメの父親アシナヅチに尋ねる。アシナヅチは「恐亦不覚御名」(恐れ多いことですが、お名前を存じ上げません)と言う。スサノヲは「吾者天照大御神之伊呂勢者也」と答えている。伊呂勢(イロセ)は同母兄弟のことをいう。古代、皇族や豪族などの権力者は一夫多妻制なので、同父兄弟よりも同母兄弟の方が血縁的に近いと考えられていたようだ。因みに、同母姉妹のことはイロモといった。
 オオクニヌシ、ヒコホホデミの結婚はどちらも「一目惚れ」である。出会った瞬間に目と目を合わせ(=マグハヒ)、結婚している。「歌垣」などの例からも分かるように、古代においては情熱的な一目惚れが尊重されていたのかも知れない。

余談

 スサノヲやオオクニヌシは、多くの女神と結婚し、多くの子どもをなした。様々な氏族の女性と結婚することは、それだけ多くの氏族と姻戚関係になれるということであり、古代の王や英雄には必要なことであった。
 それ以外にも、王はその国の統治者として、「その国の女性を広く愛する」存在でもあった。在原業平とされる昔男が、年老いた女に思いを寄せられそれに応えるという話が『伊勢物語』に見られるが、「英雄色を好む」の本来の意味は、古代の英雄すなわち王が国の女性を分け隔てなく愛する存在であったからともいわれる。
 祭政一致していた古代社会では特に、神妻である巫女と王の結婚が行われた。神の妻である巫女を己の妻とすることは、その国で祀られる神に代わって国を支配することを意味していたと考えられる。

参考

 『広辞苑』第五版(岩波書店)、『百科事典マイペディア』(日立システムアンドサービス)、坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋『日本書紀(二)』岩波書店、倉野憲司・武田祐吉『日本古典文学大系1 古事記祝詞』岩波書店