記・紀に見る死生観

黄泉の国

 三貴子の親とされ、イザナキの妻であるイザナミは、火神を生んだことにより陰部に火傷を負い、「神避る(=かむさる。神が黄泉の国へ退くこと)」。嘆き悲しんだイザナキは、「愛我那迩妹命乎謂易子之一木乎」と発言し、生まれてきた火神を斬り殺してしまう。余談だが、火傷を負って病んだイザナミの吐瀉物や糞尿から神が誕生し、更に斬り殺された火神からも新たな神が誕生している。イザナキ・イザナミの役割はまさに「国生み・神生み」にあったといえよう。
 イザナキはイザナミを連れ戻すため、「黄泉の国」へ赴くことになる。このくだりは、ギリシア神話にあるオルフェウスとエウリディケの話とよく似ている。「見るなの禁(※1)」を破ったことで再び夫婦が離ればなれになるのは同様だが、オルフェウスの場合とイザナキの場合とでは展開が異なる。
 イザナキはイザナミに、「愛我那迩妹命吾与汝所作之國未作竟故可還」と言う。この時点ではまだ、岐美二神の「国生み・神生み」は終了していなかったと考えられる(三貴子が誕生して、二神の役割は終了する)。しかしイザナミは既に「黄泉戸喫(よもつへぐい)」をしており、黄泉の国の住人となってしまっていた。その姿は体中に蛆がわいているという、死者そのものの姿であった。イザナキは、すっかり姿の変わったイザナミに恐れをなして逃げ出す。

 結局この後、イザナミは黄泉の国に留まることになり、イザナキ・イザナミ夫婦は離ればなれとなった。
 ここでいう「黄泉の国」は、言うまでもなく死後の世界であるが、この国は岐美(=イザナキ・イザナミ)二神の国造りによって作られた国ではなく、その描写についてもあまりなされない。黄泉の国の食べ物を食してしまった者がこの国の住人となってしまうという規則は、イザナキやイザナミという「国土と神々の父母神」にさえどうしようもないもののようである。
 先述したが、イザナキは黄泉の国で姿の変わり果てた妻イザナミを見て逃げ出してしまった。「見るなの禁」を破った夫イザナキに恥をかかされたと、憤激したイザナミがイザナキを追いかける。
 イザナミの遣わした使者とイザナミ自身からようやく逃げおおせたイザナキが着いたのは「黄泉津比良坂の坂本」で、この記述に即すると、イザナキは坂の上から下りてきたような印象を受ける。つまり、黄泉の国は坂の上にあると考えられていた可能性がある。
 「黄泉の国は何処にあるのか?」という議論は、現在でも交わされている。黄泉(よみ)が「山」の転であるから(「闇」の転とする見解もある)、黄泉の国は山の上にあるという説や、記・紀におけるその描写から地下深くにあるという説などが主である。三貴子の末子であるスサノヲは、長じて母(イザナミ)のいる「根之堅洲國」へ行きたいと言って泣いたというくだりがあり、後に根之堅洲國に行ったとされている。「根之堅洲國」の字義に従えばここは地底と考えられるが、「黄泉の国」と「根の堅洲國」が別物と考える見方もある(このことと関連して、黄泉の国の描写が、貴人が葬られた石室に似ているという見解もある)。
 先述したように、イザナキが、黄泉の国の住人となり姿の変わったイザナミから逃れた先に「黄泉比良坂(よもつひらさか。黄泉の国と現世との境界)」の「坂本」に至ったとあるから、それを根拠に黄泉の国が山の上にあるという説もあるのだが、サカは坂ではなくあの世とこの世の「境」と見る考えもある。あるいは、『出雲国風土記』宇賀郷の条に「黄泉之坂」「黄泉之穴」と呼ばれる洞窟のことが書かれてあるので、黄泉は洞窟ではないかともいう説もある(※2)
 ヨミの字にあてられる「黄泉」は、「地下の泉」を意味する。黄は中国で地の色を意味しており、字義に従えば黄泉は地下の国である。ヨミは「九泉」ともいい、これは「九重の地の底」と解される。
 仏教では「極楽」、キリスト教では「天国」が死後の世界に相当するので、それらと同様、死後の世界が山上(天に最も近い場所)にあったとしても不思議はない。事実、古代の日本人には、死者が天上へ昇るという考えと、地下へ行くという考え、両方を持っていたようである。
 日本は弥生時代には農耕社会へ移行した。農業は、そのサイクルを一年ごとに繰り返している。そこで、農耕社会においてその一年の農業のサイクルと「再生」儀礼とが結びついたともいう。人が亡くなるとその亡骸を土の中へ埋葬するのは「再生」を願ってのことだといい、それは植物(五穀)を毎年生み出す大地への信仰であり、魂の再生を願う儀式でもあるという。そこで、死者は地下に葬られた。このことが、地底に「あの世」があったと考えられる理由の一つかも知れない。
 死者は天へ昇るという考えを示すものに、「神上がる(かむあがる)」ということばがあるが、これは「神として天に上がる」の意で、天皇の崩御や皇族の薨去などを表すのに用いられる。死者は鳥となり天へ昇るという考えもあった(ヤマトタケルは死後鳥となり天上へ飛翔した)。「鳥葬」という儀式の方法は、この考えと繋がりがあると考えられている。
 死者が天上へあがるのか、それとも地底へ赴くのか、現在は「極楽」と「地獄」に表れるように明確にされているが(善行をすれば極楽へ、悪行をすれば地獄へというように)、それは仏教的な考え方であり、上代の死後の世界観はまた異なるようだ。

死を司る女神 イザナミ

 イザナキは黄泉の国から逃げ帰り、禊ぎを行った。そこで生まれた三兄弟の末子スサノヲは、「妣のいる根国に行きたい」と発言している。妣は亡き母の意で、イザナミのことを指す。記においては、スサノヲはイザナミから生まれたわけではなく、イザナミを「母」と称するのは疑問が残るが、紀に三貴子がイザナキとイザナミから生まれたとする伝が見られるので、異伝が混ざり合った結果の齟齬なのかも知れない。イザナキとイザナミから三貴子が生まれたという伝、イザナキ単独から三貴子が生まれたとする伝、どちらも神話を享受する側は認識していた可能性もある。
 イザナミは多くの神々と国々を生み出した、「母」を代表する存在である。イザナキとイザナミという神が、畢竟神と国を生むためにあったとさえいえるだろう。しかしイザナミに見られる特性は、「生を司る神」としてよりも「死を司る神」としての面である。他神話にも見られるが、女神は、生を司るからこそ死をも司る存在である。スサノヲが赴く根国がイザナミの国であるのも、イザナミと死とが結びついていたためであろう。
 イザナキとイザナミがコトドワタした(=コトドワスとは、配偶者と縁を切るための呪言)際の会話は以下の通り。

 「愛我那勢命為如此者汝國之人草一日締殺千頭」(愛しい我が夫よ、あなたの国の人間を私は一日に千人絞め殺しましょう)
 「愛我那迩妹命汝為然者吾一日立千五百産屋」(愛しい我が妻よ、あなたがそうするなら私は一日に千五百の産屋を建てよう)

 この後『古事記』には、「是以一日必千人死一日必千五百人生也」(こういうわけで一日に必ず千人の人間が亡くなり、一日に必ず千五百人の人間が産まれてくるようになった)とある。ホノニニギがコノハナノサクヤビメと結婚したため、人間の寿命が桜の花のように短くなったという話と合わせて、死の起源を語った話となっている(※3)
 イザナミが死を司るのとは逆に、イザナキは、己だけで神々を生み出すなど、「生を司る神」である。イザナミの「あなたの国の人間を一日に千人殺そう」という発言に対してイザナキが「それでは私は一日に千五百の産屋を建てよう」と発言しているのは、イザナキ自身が産屋を建てる神であったからとも考えられる。
 『日本書紀』第五段第十の一書では、離婚の言葉とともにイザナキまたはイザナミが唾を吐いたとある。唾を吐くという行為は、約束を交わすときなどに、その約束を固めたり、言葉の確実さを強めるためになされた。イワナガヒメがホノニニギに結婚を拒否された際、イワナガヒメが「この世に存在する青人草は、桜の花(ホノニニギが結婚した、イワナガヒメの妹・コノハナノサクヤビメをも象徴)のように必ず衰えるだろう」と唾を吐きながら言った言葉が、人の死の起源説話になっていることからもそれが分かる。ここで語られているのはイザナキ・イザナミの離婚であるが、生者と死者の別離という意味合いをも含むのかも知れない。イザナキは、追いかけてきたイザナミを妨害するため黄泉比良坂に千引の石(巨大な盤石)を置いた。こうして現世とあの世とは、巨大な盤石によって隔てられた。生者イザナキと死者イザナミが永遠に別離したのと同じように。

 この後イザナミは黄泉に留まり、「黄泉津大神」という名の神となったことが、記に書かれてある。イザナミは「愛我那勢命為如此者汝國之人草一日締殺千頭」の言葉通り、黄泉の国の神、すなわち死を司る女神となった。

※1……禁室型ともいう。日本民話では『鶴の恩返し』が有名。記・紀に見られる「見るなの禁」には、この他、山幸彦と豊玉姫の話などがある。「見るなの禁」は、異類婚姻譚に多く見られる。
※2……出雲や熊野は、大和朝廷が「死の国」と考えていた地域のようである。イザナミの陵墓は、記によれば出雲国と伯耆国の間にあり、紀には紀伊国熊野にあると書かれてある。黄泉比良坂は、「今は出雲國之伊賦夜坂という」とある。
※3……『古事記』では、桜の花のように寿命が短くなったのはホノニニギの子孫のように書かれている。一方で、『日本書紀』では、桜の花のように寿命が短くなったのは人間一般であるように書かれてある。

死に対する観念

 黄泉の国の食べ物を口にした(=黄泉戸喫/ヨモツヘグイ)イザナミは、黄泉の国の住人となる。ギリシャ神話にも、冥界の王ハデスに誘拐されたペルセフォネが柘榴の実を数粒口にしただけで現世に帰れなくなったという話があるのと同じで、これは「その世界の食べ物を口にすることがその種族に帰属することになる」という習慣があったことを表しているものと考えられる。
 ところで黄泉の国の住人となったイザナミの姿は、イザナキが恐れをなして逃げてしまう程だった。体に蛆がたかった死者そのものの姿のうえ、頭・胸・腹・陰部・両手・両脚の八箇所に雷が宿っていた。黄泉の国から逃げ帰ったイザナキは、「吾者到於伊那志許米志許米岐穢國」と言い、黄泉の国へ赴いたことによる穢れを落とすために、禊ぎを行う。
 イザナキが禊ぎをしたとき、最初に誕生したのは「八十禍津日神」、次に「大禍津日神」であった。字義から分かるように、どちらも禍の神である。この神々の誕生については、「所到其穢繁國之時因汚垢而所成神之者也」とある。黄泉の国へ行ったことによる、穢れによって生じた神々というのである。
 この後、その禍を良くしようとして、「神直毘神」「大直毘神」「伊豆能賣神」が誕生する。カムナホビ・オホナホビは、『延喜式祝詞』「遷却祟神」にも見られる。そこでは神ではなく、「直すちから」が「カムナホビ・オホナホビ」とされており、記に登場する神直毘神と大直毘神は、誤ったものを正す力の神格化であったと考えられる。
 穢れを洗い清め、イザナキが最も清らかな状態になった時、イザナキの両眼と鼻からまたも神々が生じた。そこで誕生したのが、アマテラス・ツクヨミ・スサノヲの所謂「三貴子」であった。「三貴子」とはイザナキ自身が評価した言葉で、文字通り、イザナキ(とイザナミ)が生んだ神々の中で最も貴い、神話の核となる神々であった(ただし、このうちツクヨミは神話にほとんど登場せず、活躍もあまり見られない)。
 三貴子は、イザナキが穢れを払い、最も清らかな状態であったときに誕生した神々であり、それは言い換えれば、黄泉の国の穢れ、すなわち死穢がそれほど重大なものであったことを意味している。
 黄泉の国に関する描写は、仏教でいう「極楽」、キリスト教でいう「天国」とは程遠い。どちらかといえば「地獄」に近い描写がされている。イザナミは、悪人であるから黄泉(地獄)の住人となったわけではない。「死」はそれ自体が恐ろしく、忌避すべきものであったから、死後の国は生者からは隔絶された、得体の知れない世界として描写されたのではないだろうか。

 死に対する考えとして最も顕著なものが、「天孫降臨」条に見られる。
 阿遅志貴高日子根神という神が、亡くなった天若日子と容姿が似ていたので、父や妻は阿遅志貴高日子根神を天若日子と見間違え、息子(または夫)が生きていたと感泣した。それに対し、阿遅志貴高日子根神は「吾者有愛友故弔来耳何吾比穢死人」と怒り、喪屋を斬り捨ててしまったとあるのである。
 少なくともここからは、死者への哀悼の念よりも、死そのものへ対する忌避の感情が窺える。
 紀第五段本文及び第二の一書では、泣いてばかりいて手がつけられなかったスサノヲは、根國(死後の国と解される)に追放されてしまう(※4)。『祝詞』大祓に、現世のあらゆる罪や穢れは根の國に流れ着き、最後に根國の速佐須良姫(名称から、スサノヲと何らかの関わりのある神だとされる)に処分されるとあるから、根国と罪とは結びつくものがあったようだ。また、根国と海とは結びつきがある。汚れを落とす「禊ぎ」によって水に流された罪は、川の流れに従い、最後には海に流れ着いたからであろう。まさに罪は「水に流す」ことによって清められるものであった。
 イザナキが禊ぎをしたのは海である。海は神が降臨する場所でもあった(海の彼方から来る神は「寄神」とも呼ばれる)。神道では葬儀の際、「清めの塩」を行うが、これはイザナキが海辺で禊ぎをしたように、海水で身を清めることを簡略にしたものという(※5)。海辺で禊ぎをすることは「浜降り」という。これは3月3日に行われる潮干狩りや、磯遊びなどとも関連がある。3日3日即ち上巳は、もとは人形(ひとがた)を水に流して穢れを払う日であったという(この人形が後に雛人形になったという。現在も「流し雛」の風習があるが、これは人形に穢れを託して清める儀式の名残といえる)。
 産穢、服喪、月経などは「穢れ」とされていた。民俗学ではケ(褻)とは日常性を意味し、ケガレとはその日常性が失われることだという(※6)。故人を追悼するのは、孝行を教える儒教的な考えであり、古代において故人への追悼の感情が全くなかったとはいえないにしても、死者は恐るべきものであり、忌避すべきものであったと考えられる。

 ※4……紀第五段本文及び第二の一書では、イザナミは神避っておらず、ゆえにスサノヲが自主的に根國に行く理由もない。
 ※5……井上辰雄『古事記のことば この国を知る134の神語り』(遊子館)による。岩井宏實『日本の神々と仏 信仰の起源と系譜をたどる宗教民俗学』(青春出版)によれば、清めの塩のほか、相撲の塩まきなども同様、「禊ぎ」を意味するという。塩は名からして海(=潮)と関連がある。
 ※6……谷川士清『和訓栞』によれば、ケガレの語源は「気(け)」または「日(け)」が「枯れる」(=「気枯れ」あるいは「日枯れ」)ことであるという。この解釈に従えば、死が穢れとされているのは気が衰えるからだということになる。しかし現在は柳田国男の「ケとハレ」の概念が一般的に受け入れられている。

参考

 『広辞苑』第五版(岩波書店)、『百科事典マイペディア』(日立システムアンドサービス)、坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋『日本書紀(二)』岩波書店、倉野憲司・武田祐吉『日本古典文学大系1 古事記祝詞』岩波書店、井上辰雄『古事記のことば この国を知る134の神語り』(遊子館)