ツクヨミノミコト

ツクヨミノミコトについて

 記・紀において、三貴子の誕生は重要な一節として位置付けられている。『古事記』では、三貴子が生まれた際にイザナキが「吾は子を生み生みて、生みの終に三はしらの貴き子を得つ」(記)と言っていることや、イザナキ・イザナミが「吾已に大八洲国及び山川草木を生めり。何ぞ天下の主者を生まざらむ」(紀第五段本文)などから、三貴子の誕生はイザナキ・イザナミの一連の創造行為を完結させる重要な出来事であった。イザナキはこの後、三貴子それぞれを昼・夜・海の世界の統治者として任命する。
 こうして三貴子による統治がなされることになるのだが、スサノヲだけは支配領域を治めず泣き喚いてばかりいたので、地上世界に追放される。しかし後に彼の子孫が地上世界を平定し、彼自身も黄泉国の王となる。アマテラスが天上を、スサノヲの子孫が地上を治め、それは後に国譲りへと繋がることによって、統治者が一系統化される。
 ところが、三貴子のうちツクヨミだけは全くこの世界統一神話に参加していない。ツクヨミの行動として認められるのは、紀でツクヨミが保食神を殺してしまった(第五段一書第十一)、という記述のみである。これとほぼ同じ内容の話は山城国風土記逸文・桂里の条に見られるが、ここには「山城の風土記に云はく、月読尊、天照大神の詔を受けて、豊葦原の中國に降りて、保食神の許に到りましき。」とあるのみで、ツクヨミが保食神を殺したという記述はみられない。記において、保食神に該当するのは大氣都比賣神であるが、大氣都比賣神はスサノヲの手によって殺されている。紀におけるツクヨミの役割が、記においてはスサノヲによってなされているのである。
 それではツクヨミとは一体、どのような神なのか。
 ツクヨミはその名の通り、アマテラスの「日」に対し「月」の神であると考えられる。イザナキの「左」目からアマテラスが生まれたのに対しツクヨミは「右」目から生まれ、あるいは「左」手で白銅鏡を持った時にアマテラスが生まれたのに対しツクヨミは「右」手に白銅鏡を持った時に生まれた(紀第五段一書一)という、出生を見れば明らかにアマテラスに比肩するほどの霊格を備えている(ただし、左のほうが右よりも尊く、紀一書一に「其の光彩日に亜げり、日に配びて治すべし」とあるように、アマテラスよりは若干劣る。ツキという名自体「次ノ義。光彩、日に亞ぐの意」(『新編大言海』)とある通りである)にも関わらず、目立った活躍がほとんど見られない。これは一体、どういうことなのか。

月の性質

 ツクヨミがアマテラスの「日」に対し「月」の神であることは明白であるが、その職掌は不明瞭である。その名義については「ツクヨ+ミ」とする見方や「ツク+ヨミ」とする見方があるが、アマテラスオオミカミの神名が修辞から成り立っている(太陽の神格化である)ことからすると、ツクヨミの名は「ツクヨ+ミ」(月の霊威)というふうにとることが出来る。それでは、古代における月のイメージとはどのようなものであったのか。
 松前健は『日本神話の新研究』(桜楓社)第一章(三)で、月の永遠性・不死性・若返りとの関連について、諸外国の神話を参考に述べている。日本でも「天橋も長くもがも 高山も高くもがも 月読の持てる変若水い取り来て 君に奉りて変若得てしかも」(万葉集巻十三・三二四五)のように、月神が変若水を持っている、という考えが見られる。
 更に松前は月について、

 恐らくその絶えざる死と復活の反復、死の起源説話との関連、暗黒世界との関連、その地下からの日毎の出没、死体を連想するその青白い色などの現象から、必然的に冥府や死との密接な関係が生じたのであろう。(『日本神話の新研究』七〇頁)

としている。
 月には、「天の海に雲の波立ち月の舟星の林に漕ぎ隠る見ゆ」(万葉集巻七・一〇六八)や「天の海に月の舟浮け桂梶かけて漕ぐ見ゆ月人壮士」(万葉集巻十・二二二三)のような、「舟」としてのイメージも見受けられる。ツクヨミが紀一書第六に「月読尊は、以て滄海原の潮の八百重を治すべし。」とあるように、海を統治することを委任されているのも、月と潮の満干との関連によるという説があるが、あるいは月が舟に見立てられていることと関連があるのではなかろうか。
 海には「荒鹽の八百道の、八鹽道の鹽の八百會に坐す速開つひめといふ神、持ちかか呑みてむ。かくかか呑みては、氣吹戸に坐す氣吹戸主といふ神、根の國・底の國に氣吹き放ちてむ」(祝詞式六月晦大祓)や、「沖つ国 領く君が塗り屋形 丹塗りの屋形 神が門渡る」(万葉集巻十三・三八八八)のように、黄泉・幽界との関連が見られる。月と海との関連が濃密なものであったとしたら、月と死者の世界の関連もまた存在していたであろう。あるいは、月とは冥界へ航行する舟であったのかも知れない。松前は変若水が常世郷の関わりが深いとし、

 他の民族でも、常世の国やニライカナイ、蓬莱島などのような、海上の他界の信仰はあるが、これらにも多く、不死の信仰が結びついている。(『日本民俗文化大系第二巻=太陽と月=古代人の宇宙観と死生観』第二章「月と水」三 月と若水)

と述べている。
 月―不死―黄泉(常世)―海という構図が考えられるなら、ツクヨミと黄泉国との関連があるべきであるが、記・紀における黄泉国の支配者はイザナミ、あるいはスサノヲとされている。紀においてツクヨミとスサノヲの統治領域が不分明であることなども考え合わせると、ツクヨミの有する自然神としての性格が、国家統一神話において重要な役割を担わされたスサノヲに奪われたということであろうか。
 月は多重なイメージを持っているが、それらは記・紀にはほとんど見ることができない。

月と暦法

 ツクヨミという神名の構成について、「ツクヨ+ミ」のほかに「ツク+ヨミ」とする見解があることは先に述べた。「読む」とは「春花の うつろふまでにあひ見ねば 月日読みつつ妹待つらむそ」(万葉集巻十七・三九八二・大伴家持)の例のように、「数を数える」の意であるから、「ツク+ヨミ」とは月齢を数えるという意味に解すことができる。明治時代になるまで日本では太陰暦が用いられており、月齢を数えることは暦を数えることでもあった。「つきたち(月立)」が転じて「ついたち」、「つきごもり(月隠)」が転じて「つごもり」となったことから分かるように、一ヶ月の単位基準もまた月の満ち欠けに依っている。
 「月」という語自体、

 トキ(時)という語と、おそらく同源であろう。原始人は天体の運行、特に月の出没と満欠、それにともなって変化する潮の干満を以てトキ(時)の目安とした。そのことは、英語のmoonという語が、インド・ヨーロッパ語根me(n)s-(日)、me-(to measure,計る、量る、計る)、すなわちto measure the time, the measurer of time、の意だとされていることが、傍証となる。(『国語語源大辞典』)

とあり、月という語自体に暦法との関係が見出せる。
 「聖」という語が「日知り」の意であり、それが「日を知る人、天文暦数に長ずる人の意」(『広辞苑第五版』)であり且つ「天皇」をも意味する(「玉すすき畝火の山の橿原の聖の御代ゆ生れし神のことごと」万葉集巻一・二九)ことからすると、歳時を知るということは強大な力の象徴であり、それは天皇の力の一つでもあったはずである。  折口信夫は、

 昔は、暦法は国々によって違っていた。天体の運行を観て、それを人民に教える為に、暦を発布する力が、同時に君主として、国を治める勢力となるのである。(中略)各天子が、御自分で定められた暦を、其天子従属の日置部にもたせて、諸国に遣わされた。此暦を遵奉するものは、天子の民であり、其土地は、天子の領地となった。
 暦をもって行く天子の臣を、日置大舎人という。暦の神秘な力の源は、君主の宗教的の力にある。(折口信夫『折口信夫全集 第十五巻』 五四―五頁)

と述べている。
 そのように考えてみると月の力は君主の力として不可欠なものであり、月の神であるツクヨミは当然三貴子の一柱に数えられるべき神であるのだが、ツクヨミと暦法の関係は記・紀中には見出せない。ただその暦法に関わる力を皇祖神たるアマテラスのために役立てよと言うが如く、「以て日に配べて治すべし」とあるのみである。

月と穀物

 ツクヨミの行動として唯一確認できるのが、紀第五段一書第十一の保食神殺しである。
 それではツクヨミ(月)と、穀物との間にはどのような関係があるのであろうか。
 今なお残る「月見」という風習について見てみると、

 暦の普及以前月々の満月の日はいわば折り目の日であり、元来日本人はこの日の月を大事にしていた。特に陰暦の八月十五日は初穂祭で、民間では風流より農耕儀礼の一つとしての意味合いが濃い。(『日本国語大辞典第二版第九巻』)

とある。月と暦法との関係が農耕儀礼とも関係していたということになる。
 松前は、

 月が植物の繁茂を掌り、従って、農作の守護神、豊饒のもたらし手であるという信仰は、世界的である。古代オリエント世界での、月と農耕およびこれの象徴としての牛との結びつきなどは、あまりにも知られている。(『日本民族文化大系第二巻 太陽と月=古代人の宇宙観と死生観=』第二章 月と水・五「月と植物および農耕」)

と述べている。こちらはむしろ月そのものと穀物の関連である。
 確かに月神であるツクヨミと穀物との関連が見られそうではあるが、記にスサノヲと大氣都比賣神の類似譚が見られ、ツクヨミが穀物神殺害に関与していたのがもともとの話であるのか、それともスサノヲの話がもともとであるのか、という問題がある。
 ここでも統治領域同様、ツクヨミとスサノヲの役割に混同が見られる。

終わりに

 ツクヨミについて調査をした結果、「月」のイメージについてはいくらか明確になったが、月読尊という神そのものについては、その行動が少ないために、多くが「謎」のままとなってしまった。調査した「月」のイメージにあてはまるようなツクヨミの性格・役割もほとんど見出しえなかった。
 しかし、記・紀自体政治的要素が強く、太陽神であるはずのアマテラスはむしろ皇祖神としての性格が強いこと、風土記と記・紀でのスサノヲの違い等を考えると、記・紀におけるツクヨミの性格もまた本来ツクヨミが有する性質と異なっている可能性が高いということは、言えるのではないか。
 皇祖神として特に記・紀神話の中心となるアマテラスと、出雲系主神の祖先となるスサノヲに、ツクヨミが本来持っていた性質や役割が奪われてしまった可能性がある。それゆえツクヨミは三貴子且つ日神に比肩する月神でありながら、記・紀神話においては非常に貧弱な存在にしかなり得なかったのではなかろうか。

参考

 倉野憲司・武田祐吉『日本古典文学大系1 古事記祝詞』岩波書店
 秋本吉郎『日本古典文学大系2 風土記』岩波書店
 坂本太郎・家永三郎ほか『日本書紀(一)』岩波書店
 小島憲之ほか『日本古典文学全集4 萬葉集三』小学館
 松前 健『日本神話の新研究』桜楓社
 松村武雄『日本神話の研究 第二巻―個分的研究篇(上)―』培風館
 吉田敦彦『日本神話の特色』青土社
 谷川健一代表『日本民族文化大系第二巻 太陽と月=古代人の宇宙観と死生観=』小学館
 折口信夫『折口信夫全集 第十五巻』中央公論社
 上代語辞典編集委員会『時代別国語大辞典 上代編』三省堂
 日本国語大辞典第二版編集委員会・奨学韓国語辞典編集部『日本国語大辞典第二版第九巻』小学館
 大槻文彦『新編大言海』冨山房
 山中襄太『国語語源大辞典』校倉書房