地名編

nihombashi

 江戸時代、江戸から地方へ旅に出る人は、日本橋を出発点としていました。それは、日本橋が五街道の出発点、あるいは終着点であったためです。現在も、国道1号線(大阪府大阪市へ伸びる)や4号線(青森県青森市へ伸びる)など、7本の国道がこの日本橋を起点としています。
 その日本橋、ローマ字表記だと「nihombashi」と書かれている場合もあります。「nihonbashi」ではなく「nihombashi」です。
 これは日本語の音韻上の問題で、「ン」という音は次に続く音がマ行(子音「m」)のときは発音が「m」に、ガ行(子音「g」)のときは発音が「ng」になります。
 因みに、現在架かっている日本橋は19代目だそうです。

 余談ですが、歌川広重「東海道五十三次 日本橋」には、犬の尻が描かれています。中世などでは、飢饉の時に犬が死骸を喰らったということで、犬は死の象徴でもありました(聖性の象徴として描かれている場合もあります)。犬が描かれているということは、日本橋の側には刑場があったということを示していると考えられています。

景物編

みやこどり

 東京都の都鳥はユリカモメ。このユリカモメの別名を都鳥といいます。
 古典では有名な話ですが、『伊勢物語』の主人公・昔男が「東下り(あずまくだり)」の際、現在の東京、当時(平安時代)は武蔵野国と下総国の付近を訪れ、この都鳥の歌を詠じています。
 「東下り」とは、字の如く東へと下ること。平安時代、東国は未開の地、辺境の地とされていました。『吾妻鏡』(『東鑑』とも。鏡とは歴史書のことをいいます。例えば、四鏡=『大鏡』『今鏡』『水鏡』『増鏡』とは、4つの歴史物語を指します)といえば鎌倉幕府の事跡を記した史書として知られていますが、源頼朝が鎌倉(東国)に幕府を開いたことからこの名がついたのでしょう。それまで政治の中枢は、現在でいう奈良や京都にあり、辺境の地である東国が政治の要所になるということは、それまでほとんどなかったのです。
 東下りとは、京の都から離れて行ったので「下る」というわけですが、当時辺境の地であった東国へ下るというのは、昔男が罪を得てのことでした。『伊勢物語』の主人公・昔男は、とある女性に恋をし、恋い焦がれて彼女をさらってしまうのですが、その女性は鬼に食われてしまうという話が、『伊勢物語』に載せられています。昔男のモデルとされているのは在原業平で、この時 昔男がさらった女性というのは、藤原高子(藤原長良の娘、清和天皇女御、陽成天皇母后。二条の后とも)であるといわれています。天皇の女御となる女性をさらい、しかもその女性は鬼に食われた──実際には、女性は彼女の兄たちに連れ戻されただけのようですが──ため、罪を得た昔男は、やむなく東国へ下っていったのでしょう。
 東下りをした昔男は、隅田川のほとりで見知らぬ鳥に出会います。舟の渡し守に鳥の名前を問うたところ、「これなむ都鳥」という答えが返ってきたので、昔男は、

 名にしお負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと

と詠み、船に乗っていた人々(昔男と、彼の東下りに同道していた人々)は皆が涙を流したと、『伊勢物語』にあります。
 東国の人々が「都鳥」と呼ぶユリカモメは、都人の知らない鳥でした。
 昔男が都鳥の名前を尋ねた(=言問)ことに因んだという説がある「言問橋」が、現在も向島に架けられています。

 続きます。

参考

 『広辞苑 第五版』(岩波書店)、『百科事典マイペディア』(日立システムアンドサービス)、山口佳紀編『暮らしのことば 語源辞典』(講談社)、エンサイクロネット『すぐに使える言葉の雑学』(PHP研究所)