道祖神

 道陸神(どうろくじん)、塞(さえ)の神とも呼ばれます。外来の悪霊を防ぐ神であり、村境や峠などに神像や石碑として建てられました。
 『古事記』には、黄泉の坂に塞がった盤石が「道反大神(ちがえしのおおかみ)」という名になったとあります。古代、盤石は悪霊邪気を払う力を有していたと考えられていたようです。それに加え、黄泉の坂を塞ぎ、現世と黄泉とを断ち切った盤石は、「境界線」を表していたといえるかも知れません。黄泉の坂は「黄泉比良坂(よもつひらさか)」といいます。サカとは離る・避るの語根で、サカが合うところがサカアヒ=境(さかい)です。
 道祖神によって防ごうとした「外来の悪霊」とは、医療・衛生ともに現代より未発達であった昔は、疫病などの病気などをも指したのでしょう。道祖神には疫防の神という面もあります。
 『備後国風土記』(逸文)には、武塔の神が備後国を訪れた際、自分に一夜の宿りも与えず冷遇した人間を、疫病で殺してしまったという話が載せられています。これは外つ国からの訪問者、まれびと(まろうど)を篤くもてなせば福があり、冷遇すれば禍があるという考えがあったこともあるでしょうが(※1)、外からもたらされる禍を防ぐ、また、中から生まれた禍が外へ流出するのを防ぐということを願ったことが、「道祖神」が多く建てられた理由のようです。
 道祖神は、男女和合の形(双体道祖神)や陰陽の形の石でも表現されます。これは性器崇拝の象徴でもあります。性は子孫繁栄、ひいては豊饒なども意味しますが、性にはまた呪術的な力があるとされていました。現在でも「生命の神秘」といいますが、生命を生み出すことは奇跡であり、性には偉大な力があるとされていたのです。アマテラスが石屋戸にこもったことにより世界が暗黒に包まれる「天の石屋戸」は有名ですが、アマテラスを招き出すためアメノウズメが踊ったときのアメノウズメの姿は、「掛出胸乳裳緒忍垂於番登也」というもの。胸を露わにし、裳の紐を番登(ホト。女陰の意)まで押し下げ垂らしたといいます。紀では、天孫降臨条で天孫に付き従ったアメノウズメは、アマノヤチマタにいた神に、天孫の行く手にいる理由を問うため、胸を露わにし、裳の紐を陰部まで押し下げたという姿になります。アマノヤチマタにいた神は、実は天孫を案内しに来たサルタヒコ(このことから、サルタヒコは道祖神信仰とも結びつきを持ちます)ですが、アメノウズメのこの姿も、天の石屋戸同様、性の呪力を使ったものといえるでしょう。
 道祖神は、塞の神とも呼ばれます。塞の神は、『古事記』にはヤチマタヒコ、ヤチマタヒメ、フナトノカミが登場します。サエとは遮る(古くは「さいぎる」とも)の意です。
 フナトノカミ(クナドノカミとも)は、紀第五段第九の一書に登場します。イザナキが、黄泉の国の住人となり姿の変わり果てたイザナミから逃れるため(※2)に投げた桃の杖から成った神です。字は「岐神」と書き、「岐」は「路」「分点」の岐で、別れ道などを指します。

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※1……武塔の神は、自ら「スサノヲ」と名乗っています。スサノヲは冥界の神でもあり、まれびとは冥界から来た神であるとする考えがあったのかも知れません。「まれびと」または「まろうど」とは「稀に来る人」の意。因みに、祇園祭で「蘇民将来子孫也」の護符を身につけるのは、この『備後国風土記』(逸文)の故事に因んでいます。祇園祭で、7月31日の八坂神社境内「疫神社」において「茅之輪守」を授与する行為も、同じく『備後国風土記』(逸文)に見られます。茅之輪は「チ(霊)の輪」に通じるため、茅の輪を授与するという見解(角林文雄『アマテラスの原風景 原始日本の呪術と信仰』塙書房)があります。
※2……正確には、黄泉の国の住人となったイザナミに宿った雷を追い払うため。

参考

 『広辞苑 第五版』岩波書店、『百科事典マイペディア』(日立システムアンドサービス)、坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋『日本書紀(一)』岩波書店、秋本吉郎『日本古典文学大系2 風土記』岩波書店、角林文雄『アマテラスの原風景 原始日本の呪術と信仰』塙書房