言霊信仰

 『万葉集』に、こんな歌が載せられています。

 磯城島の日本(やまと)の国は言霊の幸(さきは)ふ国ぞま幸くありけり

 「磯城島」は、崇神・欽明天皇が都を置いた大和の国(現在の奈良県)の磯城郡のことをいい、「日本国」の異称です。この場合は「日本(やまと)」にかかる枕詞となります。
 「幸ふ」は「豊かに栄える」の意。なのでこの歌を現代語訳すると、「日本の国は、言霊(=ことばの霊力)で豊かに栄える国であり、(ことばの力によって)繁栄して欲しい」というような意味になります。
 言霊はことばに宿る霊力のことで、上代の人々は、ことばやその使い方が、人の幸不幸を左右すると信じていました。おめでたいことばによって将来の幸福を祈れば、それが実現できるというふうに、です。それと同様に、呪詛のように「ことばによって人を不幸にする」という考えもありました。
 祝詞(神を祀るときに奏上することば)、寿詞(天皇に奏上する祝福のことば)などもその信仰のあらわれといえます。「祝詞(のりと)」の語義には諸説ありますが、本居宣長の「天子が宣(の)り説くことば」、とするのが広く受け入れられている解釈のようです。祝詞の中によく見られる「称辞竟へまつる」「辞竟へまつる」は、「たたえごと(讃辞)を申し上げる」の意で、祝詞を読み上げることをいいます。祝詞や寿詞は、まさに神々と天皇の御世をことばによって祝福し、国の平安を願うものでした。
 現在も、「言祝ぐ(ことほぐ)」(「寿ぐ」とも)ということばを用います。これは「言葉によって祝福」するという意味です。「寿く」(ことぶく)も、「言祝ぐ」の転といわれています。ちなみに、「祝ぐ(ほぐ)」は、「良い結果となるよう祝いの言葉を述べる」以外に、「悪い結果となるよう呪詞を述べる」の意味もあります(「祝」と「呪」はどちらも「ほく」と読み、この二つは共通点があるとされていました)。「祈る」という語は、「斎(い)告(の)る」から出たことばで、神聖な神仏の名を呼ぶことで、幸福を請い、願うことばです。名前はその人の本質を表すもので、みだりに呼ぶことが避けられていました(忌み名の考えなどがそうです)。これも一つの言霊信仰といえるでしょう。余談ですが、「言(こと)」は「事(こと)」と同源であったと考えられています。これは、「ことばに出されたものが実際の現象となる」という考えの反映であるのかも知れません。
 「君が代」という楽曲も、ことばによって天皇の御代を祝福するための歌といわれています。『古今和歌集』の賀歌に「わが君は千代に八千代にさざれ石の厳となりて苔のむすまで」があり、この歌が「君が代」のもとになったといわれています(『和漢朗詠集』にも類似のものがあり、こちらは初句が「君が代は」となっています)。この歌は、「我が君」が「さざれ石(小石)」が「厳(そびえ立つ大きな岩)」となり、そこに苔が生えるまで長寿であって欲しいと歌ったもの。「千代に八千代に」も長い年月を言い表すことばです。『延喜式』祝詞に頻出する「皇御孫の命の御世を手長の御世と堅盤(かきわ)に常磐に斎ひまつり、茂(いか)し御世に幸はへまつる……」も、皇御孫(天孫ホノニニギ)及びその末裔のひとびとを祝福するための、一種の慣用表現のようです。
 現在でも使われる「祈る」ということばは、神聖の意を表す「イ」に「宣(の)る」がついたものとされています。神仏の名、祝福のことばを口に出し、幸いを求めたことを表しています。

 現在も、おせち料理などは「縁起」をかついで、「黒豆(まめになるように)」、「ごまめ(田作。昔はイワシが肥料とされたためこう呼ばれるともいいます。五穀豊穣になるように、あるいは御健在=ごまめであるように)」、「数の子」(子宝に恵まれるように。数の子はニシンの卵で、ニシンは二親に通じる)、 「昆布(よろこぶ)」、また受験では「敵に勝つ」でカツを出したりします。現在のものは「ことばあそび」やレトリックのようになっていますが、これも一種の「言霊信仰」かも知れません。日本人は、ことばから色々な連想をし、口に出すことば、ものに付いた名前に、願いや祈りを込めています。

参考

 『広辞苑 第五版』岩波書店、『百科事典マイペディア』(日立システムアンドサービス)