年齢のこと

【喜寿】
 77歳、またそのお祝いを指します。「喜」の草書体が「七十七」に見えることから。
【傘寿】【中寿】
 80歳、またそのお祝いを指します。「傘」の異体字「」が「八十」に見えることから。
 中寿は、80歳、または100歳のことを指します。
【半寿】
 81歳、またそのお祝いを指します。「半」の字を分解すると、「八」「十」「一」になることから。将棋盤の目が81あることから、「盤寿」ともいいます。
【米寿】
 88歳、またそのお祝いを指します。「米」の字を分解すると、「八」「十」「八」になることから。
【卒寿】
 90歳、またそのお祝いを指します。「卒」の異体字「卆」が「九十」に見えることから。
【白寿】
 99歳、またそのお祝いを指します。「白」の字に「一」の字を書き足すと「百」になることからこういいます。
 因みに、「九十九」は「つくも」と呼びますが、これは九十九に一を足すと百(もも)になる(=つく)ことに因んでいるそうです。
【上寿】【百寿(ももじゅ)】
 上寿は、100歳、または120歳のことを指します。長寿を三段階に分けたうち、最も上の段階であることから。
 百寿は字の通り、100歳、またそのお祝いを指します。
【茶寿】
 108歳、またそのお祝いを指します。「茶」の字が「八十八」の上に「十」が二つに見えることから(88+10+10=108)。
【珍寿】
 110歳以上の祝いを総称してこう呼びます。
【皇寿】
 111歳、またそのお祝いを指します。「皇」の字を分解すると「白」「一」「十」「一」になり、白は99を意味するので(「白」に「一」を書き足すと「百」の字になる)、99+1+10+1=111となります。

七五三

 3歳・5歳・7歳の子どものお祝いが「七五三」です。七五三の名称とともにこの風習が盛んになったのは、明治期以降といわれています。
 もともとは、3歳の髪置(2~3歳の子どもが髪を伸ばし始めるのを祝う儀礼。生まれたばかりの赤ん坊の髪は不浄とされていたので、生後七日目に髪を剃り、三歳までは丸坊主でした。公家・武家、または男女による年齢の違いあり)、5歳の袴着(平安期には3歳、江戸期には7歳から行われる。袴着から、男女が異なる衣服を纏うようになる)、7歳の帯解(子どもに初めて帯を用いる祝い。男子は5歳から9歳、女子は7歳に行った)といった江戸期からの風習で、七五三はそれを一緒に行うようになったもの。七五三は全て奇数(陽数)で、めでたい数字とされます(九月九日は「重陽」すなわち陽数が重なる日とされ、節句の一つです)。
 近世以前は子どもの死亡率が高かったので、子どもは「神仏に近い」と見なされ、神聖視されていました。七五三の原形は、死亡率の高い子どもが神仏から人間になっていくお祝い、という意味合いがあったのかも知れません。
 講義で聞いた話なので出典や根拠は不明な話ですが、「とおりゃんせ」という歌も、「子どもは神に近い」という昔の考えを反映しているものだそうです。
 「とおりゃんせ」の歌詞は、子どもが七歳になったお祝いに、天神様にお札をもらいに行く……という内容ですが、「行きはよいよい、帰りは恐い」のです。
 これは、「7歳」すなわち「子どもが神に近い存在から、人間になる」ということで、神仏の加護を得られなくなることに由来しているのだそうです。まさに、「7つまでは神のうち」です。
 7歳の祝いの札を持ち帰ったら、7歳となり「人間」として扱われる=帰りは神仏の加護を得られない、ということで、「行きは良いが帰りは恐い」。

 余談ですが、「子ども」のことは「子供」と書かず「子ども」と書くことが多いです。これは、「供」に「お供え物」の意味があるので、そのニュアンスを隠すためだと聞きました(あくまで噂、話のネタ、というほどのことですが)。

四十九日

 四十九日は「満中陰(まんちゅういん)」ともいいます。中陰とは、故人の霊魂が生と死の境=中有(ちゅうう)にあることを意味する仏教のことばで、三途の川を渡り、閻魔様の前で裁きを受けるまでの期間をいいます。裁きは七日ごとに行われるので、初七日・二七日(になぬか)・三七日・四七日・五七日・六七日・七七日即ち四十九日の供養を行い、中陰にある霊の冥福を祈ります。七回の裁判が終わると浄土往生することになります。五七日(35日目)は閻魔様から裁きを受けるということで、初七日 及び四十九日と合わせて重要な行事となります。

 続きます。

参考

 『広辞苑 第五版』岩波書店、『百科事典マイペディア』(日立システムアンドサービス)